カワウソの味

渡邊忠司氏の大坂見聞録を読み進める。

大坂見聞録―関宿藩士池田正樹の難波探訪

大坂見聞録―関宿藩士池田正樹の難波探訪

この本は、下総国関宿藩主の久世広明が大坂城代になったことにともない、その属吏として大坂に赴いた藩士池田正樹の見聞録をもとにしている。正樹による大坂見聞録の名前は『難波噺』。正樹が大坂に到着した明和6(1769)年から安永3(1774)年までの記録である。


正樹は大坂を実に精力的に歩き、江戸との比較を『難波噺』に書き残しているが、自分の興味関心から言って面白かったのが、江戸では隠すように売られていた鳥獣の肉が大坂では公然と売られていたということ。鳥屋町は正式な名前ではなく、船場備後町安土町との間、八百屋通りの俗称。『難波噺』には次のように記されている。

備後町筋に鳥屋のきをならべ有。此節ハ鶴、雁、鴨、鶏、雉子、鳩、鳶専ら、其外小鳥、獺の類も有。鶴は鮮も塩もあり。また切売にせり。足もうれり。平日も足ハあれでも鮮の足ハ冬のみあり。


鳥屋が軒を並べた鳥屋町では、様々な鳥が食用として売られていたことが分かるが、渡邊氏は末尾に獺(カワウソ)が記されていることに注目されている。そして、カワウソが食用にされていたことを想像するのは難しいとし、これは小鳥の「うそ」か、正樹の書き間違いではないかと推測されている。


ニホンカワウソはイタチ科の動物で、四国南西部に棲息していたが、1979年の以来目撃例がなく、現在では絶滅したと思われている。それだけに食用と想像するのは難しいかもしれないが、梶島孝雄の資料 日本動物史によると、カワウソの肉は室町中期の往来物『尺素往来』では美味の一つに数えられているという。また、『江戸繁昌記』に、江戸市中でカワウソの肉が山鯨の一つとして売られていたとあることも紹介している。ちなみに、幕末期の『武江産物誌』によると、江戸市中の本所、綾瀬にもカワウソが生息していたというのだから驚きだ。そのあたりのことを考え合わせると、大坂で食用に売られていた獺はカワウソと考えてよいようにも思うが、どうであろうか。