酒を水でうすめる

昨日柚湯に入った一の重です。

さて、昨日の続き。
幕末単身赴任 下級武士の食日記
を少し読んでみました。
(まだ第一章あたりですが…)


江戸前の豊かな魚介類と
近郊農業の発達による食材の供給、
全国からもたらされるたくさんの食材や調味料、
それからお酒などの嗜好品、
これらが混じり合って江戸の食が成り立っていたということ。
そのことをこれから具体的に、紀州和歌山藩の下級武士
酒井伴四郎の食卓にみていこうということになるのでしょうか。


なお、第一章では、酒井伴四郎の日記だけではなく、
紀州藩付家老の安藤氏に仕えた侍医原田某が
参勤交代で江戸に滞在した時の見聞を記録した
『江戸自慢』という資料が取り上げられています。
『江戸自慢』は、
江戸勤番武士が銭一文でも安上がりに生活できるように
ということをテーマにしており、
例えば水漬けの数の子が一年中売られていて値段も安いので、
勤番武士のおかずとして最上などと記されています。


また、江戸の酒は
上等のものは口あたりがよいが、値段も高く
その上酔いが醒めるのが早いとされています。
これを読んで宇和島藩士三浦家の
ある資料のことが思い浮かびました。
それは天保7(1836)年に
江戸にいた三浦義信が妻の久美にあてた手紙。
やや意訳しつつ記すと次のような内容でした。


江戸も宇和島と同様に物価は次第にあがっています。
お酒には余計に水を混ぜ、餅も小さいのし餅は薄く切ったものが4文、
豆腐も半丁の大きさが1丁とされ、売られる始末。
江戸にいる面々は暮らしに大いに困っています。
天保7年12月25日付書簡)


ちょうど天保の飢饉の最中ですが、
現在の醸造アルコール添加のお酒どころか、
江戸では水でうすめたお酒が売られていたということになります。
口あたりがよいが、酔いの醒めるのが早いということと、
水を混ぜて、まさしく水増しすることと何か関係があるのでしょうか。
私も大酒のみ。
ついつい本を読んでも酒という文字を追ってしまうのでした。