安倍義任の履歴

前回、松山で種痘を行った二人の医者が、
どのようなところで学んだのかつかめないと記したが、
そのうち、安倍允任の養子に入った
安倍義任については履歴書があり、修学状況が明らかになる。
安倍能成の我が生ひ立ちには、
父親義任の明治8年の履歴書などから次のように記されている。


天保11(1840)年
尾道藤井友三郎の3男として生まれる。
安政元(1854)年2月
大坂の漢蘭折衷医(内科医)林東庵に学ぶ。
安政2年頃
兵庫の漢方医(内科医)真島順庵に学ぶ。
安政5(1858)年〜文久3(1863)年
藩医蘭方医の青木周弼に学ぶ。
文久元(1861)年11月16日
安倍家に入籍。
元治2(1865)年
松山藩久万山の久万町で開業。
年不明〜明治4(1871)年
尾道に移り、医業に従事。
明治4年5月
松山県医学校準助教、医学科専務。
明治5年3月
其後本業出精仕居候


安倍義任になると、
確実に蘭方の知識を身につけていたことがうかがえる。