少しアレンジ

週の真ん中のポツンとした休み。お昼は家人につきあって晩ご飯の買い物。今晩はタコ飯。

夕方、市の図書館に出かける。東京読書―少々造園的心情によるでチェックした本がそのままあるわけではないので、参考にしながら、ない本は同じ作者の別の本にさしかえたりしながら6冊借用。ゴールデンウィークに読むつもり。

泥絵で見る大名屋敷 (GAKKEN GRAPHIC BOOKS DELUXE)

泥絵で見る大名屋敷 (GAKKEN GRAPHIC BOOKS DELUXE)

小説を、映画を、鉄道が走る

小説を、映画を、鉄道が走る

描かれた戦国の京都―洛中洛外図屏風を読む

描かれた戦国の京都―洛中洛外図屏風を読む

冨田均 東京映画名所図鑑(平凡社

小林重喜 明治の東京生活(角川書店

東京読書

昨日読み終えたのは、

東京読書―少々造園的心情による

東京読書―少々造園的心情による

新旧取り混ぜながら100冊ぐらいの江戸東京本が紹介されていて、このジャンル好きとしてはうれしい一冊。前の本を受けつつ、次の本へと進んでいくので、本の世界がつながっていく。隅田川、武蔵野、江戸の地下など、東京の多様な姿が浮かび上がる。既に読んだ本あり、もっているけど未読の本もある。未読の本を取り出してパラパラめくりたくなる。

とりあえず気になった本だけ下にメモ。
槌田満文編 明治東京歳時記(青蛙房
夢野久作全集2 街頭から見た新東京の裏面他
鈴木理生 江戸の川・東京の川
雑喉潤 浅草六区はいつもモダンだった
馬場孤蝶 明治の東京
泥絵で見る大名屋敷
冨田均 乱歩「東京地図」

ゴールデンウィークが来るとはいえ、限られた時間。読みたい本はいろいろあっても、せいぜい1、2冊読めたらいい方だろう。本なんかいくらでも読めると思っていた頃が懐かしい。

連休前のある一日

連休前の土曜日。今日は体のメンテナンスのために鍼を受けに外出。鍼灸院に行くには、郊外電車、市内電車と乗り継がなければならない。その間に読書がはかどり、持っていた1冊を読み終えてしまう。

そうなると、手持ち無沙汰で、鍼が終わってから市内電車で街中に戻り、ジュンク堂で何か1冊と探し回る。図書館に入ったら読もうと思っていた本を選択。

パリの皇族モダニズム

パリの皇族モダニズム

すぐ近くの喫茶店で、ワッフル食べながら、早速本を読み始める。戦前の宮家である朝香宮鳩彦王と允子妃は、大正11年(1923)からの3年間をパリで過ごす(允子妃はある事情から翌年からだが)。そのパリ生活を、東京都庭園美術館に眠っていた「受領証綴」からよみがえらせようとするもの。東京都庭園美術館は旧朝香宮邸で、アールデコの館として知られている。朝香宮夫妻のパリ滞在後に建てられたものだが、「受領証綴」はそこに遺っていたものではなく、流出していたものを庭園美術館が購入したものらしい。日本人でパリというと、昭和6(1931)年に放浪記の印税でパリに行った、林芙美子紀行集 下駄で歩いた巴里 (岩波文庫)なんかが思い浮かぶが、その切り詰めたパリ生活とは全く異なる、ハイグレードなパリ生活がのぞけそう。

そこからさらにあわただしく市内電車に乗り、愛媛大学へ。法文学部附属の四国遍路・世界の巡礼研究センターができたことを記念して開かれた講演会を聞きに行く。昨日に四国遍路が日本遺産に認定されたこともあってか、会場は満員。テレビなどマスコミ関係も多い。講演は、鳴門教育大学の大石雅章氏の「四国遍路と弘法大師信仰」。終わってあわただしく、再び電車を乗り継ぎ帰宅。

『日本映画 隠れた名作』

本書は、川本三郎筒井清忠による対談集。昭和30年代前後の映画館に日常的にかかっていたプログラムピクチャーを見直そうというもの。昭和30年代は映画が娯楽の王様だった時代。年に1,2本しか作品をつくらない黒澤明小津安二郎のような巨匠とは違う、娯楽に徹しながら作品を量産した監督たちがいた。目次を見ても、知らない監督ばかり。でも当時の日本映画を屋台骨で支えていたのは、そうした監督たちであった。

プログラムピクチャーの見所は、安くあげるためにセットをできるだけ組まずに、ロケを多用しているところ。「事件記者」、「警視庁物語」、「刑事物語」などのシリーズはほとんどがロケで、それが今から見ると貴重な東京の姿を記録することになっているとのこと。場末の深川ドヤ街などが出ているとなると、ストーリーそっちのけでちょっと見たくなるところ。

瀬戸内海の鞆の浦で撮影した千葉泰樹監督の『今宵ひと夜を』(昭和29年)も、今では地元の人もあまり知らない映画とか。でも一番見たいのは、長崎の軍艦島こと、端島で撮影された炭鉱映画、小坂哲人監督の『緑なき島』(昭和23年)。でも、こうしたプログラムピクチャーは、地方にいると、ハリウッド映画よりも見るのは難しそう。いつか見られる日が来ることやら。

「桃山時代の狩野派」

昨日よく歩いたので、ゆっくり朝起きて、電車で再び京都へ移動。バスには既に長蛇の列が。後ろに並んでいたおじさんが、列を整理していたバス会社の人に、「今日は何かあるんですか?」。その答え「毎日これぐらい並んでますよ」。でも、バス会社の人の見立てでは、次のバスで乗れるとのこと。詰め込めば1台で70人くらい乗れるそう。その見立てどおり、無事バスに乗ることができて、無事に京都国立博物館に到着。

平成知新館ができてから、初めての訪問。中に入ると、その知新館に長蛇の列が。何事かとのぞいてみると、特別展関連イベントで、「記念座談会 「日本美術応援団、桃山時代狩野派を応援する!!」の整理券待ち。日本美術応援団団長の山下裕次氏、日曜美術館井浦新氏、そして今回の特別展を企画した同館の山本英男氏による座談会だそう。並んでみようかと思ったものの、終わってから飛行機に間に合うかどうか微妙なので、断念。あきらめて特別展「桃山時代狩野派 永徳の後継者たち」の会場へ行く。

展覧会は永徳以後の狩野派を取り上げたもの。永徳の死後、最大のライバル、長谷川等伯に仕事を奪われるなど、狩野派はピンチ。そうした状況下、永徳長男の光信が率いる狩野派は三面作戦へ。永徳次男孝信は天皇家の宮廷絵所預へ。豊臣家には弟子筋の山楽と内膳。そして、徳川家には光信の叔父長信と孝信長男の探幽。組織力での生き残り作戦と展開する。それそれがパトロンのために描いた障壁画の豪華絢爛な展示になっている。

桃山時代狩野派の会場、明治古都館を後にして、新しくできた知新館へ。建物の手前の看板にふと目をとめると、知新館の位置は、豊臣秀吉が建てた方広寺の境内に当たるとのこと。昨日見た洛中洛外図の方広寺の情景が頭に浮かぶ。

中に入ると、彫刻、書跡、染色、絵巻物などのジャンルごとに名品紹介。典型的な国立博物館展示はこれまでのままだが、最新の展示施設ですごく見やすくなったような。近世絵画では、いずれも作者不詳の風俗図の屏風が並んでいたが、いずれも力作。近世の絵画において、粉本主義により類型化が進むなど、マイナスイメージで捉えられることが多い狩野派だが、なかなかどうして、作者不詳でもこれだけ質の高い作品が描けることを評価してもいいような。専門家の間では、そうした再評価も進みつつあるのだろう。

最後、地下の講堂に降りていくと、講堂の前で中に入れなかった方々が、テレビ画面に映し出される記念座談会を熱心に見ている。バスの時間までしばらく、その楽しいトークに聴き入る。ちなみにこの座談会、近日中オフィシャルサイトで内容が紹介されるらしい。また、チェックしてみよう。

京都駅の伊勢丹でお土産も買って、午後7時過ぎには自宅の食卓につくことができた。こんなに手軽なら、今度は東京に行ってみるのもありかもと思い始める。

「医は意なり」、「京を描く」

昨年、仕事の内容ががらっと変わって、県外に出ることがめっきり減ってしまった。気持ちも後ろ向きの一年だったが、2年目は無理してでも遊んでやろうと、休みをとって京都へ。

異動で松山に来ていいのは、今の家が空港に近いこと。家人に空港に送ってもらって、朝第一便で伊丹へ飛ぶ。思っていたよりも早い時間に京都入り。京都で友人と落ち合い、展覧会めぐり。

最初は、京都大学総合博物館の「医は意なり−命をまもる知のあゆみ−」に行く。日本医学会との共催の展示になっているが、日本医学会が金持ちなのか、ゴージャスな内容。入口付近に江戸時代の医学者の肖像写真が並ぶが、結構その名前が答えられる自分ってちょっとオタク?蘭学系の医者はほとんどわかったが、曲直瀬道三はわからなかった。江戸時代の医学史の展示を期待していたものの、かなり近代以降も展示されている。人工呼吸器の「鉄の肺」の圧倒的な存在感。安産の神様として知られる京都府福知山市の大原神社。その宮司が集めた産育に関わる歴史史料の展示も良かった。神社には産婦が出産時にこもったという府指定有形民俗文化財の産屋もあり、そのような経緯もあり宮司が史料を集めてきたという。

次に今回の旅の目的、京都文化博物館の「京を描く−洛中洛外図の時代−」を観覧。これだけまとまって洛中洛外図を見るのは初めて。室町時代の初期の洛中洛外図だけでも複製を交えながらかなり揃っているが、類型化が進む江戸期、そしてそこから一歩踏み出して、迫真性を増した都市景観の表現が江戸後期に登場。時代を長く捉えて、史料を集めて展示したことで、いろいろなことが見えてくる。ほんとに長い歴史をもつ京都だからこそできる展覧会で、2時間半ほど食い入るように見て回る。ずっしり重く、持ち運ぶのが厄介な図録も迷わず購入。

駅前に移り、友人と会食。京都の肴と地酒を楽しむ。これからやってみたいことなど、くどくど話してしまう。京都に宿が取れなかったため、遅い電車で新大阪のホテルに移動。宿につくなり、ベットに倒れ込む。

まぼろしの著作

山口昌男 エノケンと菊谷栄 読了。

エノケンと菊谷栄

エノケンと菊谷栄

本書の企画が最初に筑摩書房に出されたのが、1983年。きっかけは、NHKFMラジオに出演した山口氏が、日本の喜劇王エノケンに菊谷栄という座付作者がいたと、俳優財津一郎氏から聞いたこと。山口氏は、菊谷栄の妹から台本や舞台図などの提供を受けて、執筆を開始する。

しかし、その原稿は、山口氏の札幌から東京府中への移動の際のどさくさに流失。そして、山口氏は亡くなり、まぼろしの著作となるところ、札幌の古書店で原稿発見。編集者がもっていたコピー原稿に、山口氏が書き足した原稿も加えて再編集。まぼろしの著作が刊行がされる運びとなった。

本書は、単行本にまとめられた「挫折」の昭和史に先行するもの。突然に日本の近代精神史へと興味を持ち始め、山口氏の研究対象が大きく変わる転換点に位置づけられる重要な著作といえる。とはいえ、複数の原稿や書き足しを編集して、一つの本にまとめる作業は困難を極めた。

年代順に沿って文章を並び替え、組み込まれる場所の決まっていない原稿の束を整理して新たな章を設け、小見出しを加え、引用文の出典を確認し、事実関係の誤りを修正し、という作業を繰り返し行いながら文章の体裁を整えて、どうにかこのような形まで辿り着いた。

川村伸秀氏の献身的な作業により、まぼろしの著作が刊行されることになった。その編集力の賜物か、未完成とは思えないほどの出来で、菊谷栄が上海戦線で戦死するまで、ぐいぐい読ませる。そして、最後の最後で、プツリで原稿が終わり、(以下、原稿なし)の文字。その突然の終幕が、菊谷の生涯と重なる。