「桃山時代の狩野派」

昨日よく歩いたので、ゆっくり朝起きて、電車で再び京都へ移動。バスには既に長蛇の列が。後ろに並んでいたおじさんが、列を整理していたバス会社の人に、「今日は何かあるんですか?」。その答え「毎日これぐらい並んでますよ」。でも、バス会社の人の見立てでは、次のバスで乗れるとのこと。詰め込めば1台で70人くらい乗れるそう。その見立てどおり、無事バスに乗ることができて、無事に京都国立博物館に到着。

平成知新館ができてから、初めての訪問。中に入ると、その知新館に長蛇の列が。何事かとのぞいてみると、特別展関連イベントで、「記念座談会 「日本美術応援団、桃山時代狩野派を応援する!!」の整理券待ち。日本美術応援団団長の山下裕次氏、日曜美術館井浦新氏、そして今回の特別展を企画した同館の山本英男氏による座談会だそう。並んでみようかと思ったものの、終わってから飛行機に間に合うかどうか微妙なので、断念。あきらめて特別展「桃山時代狩野派 永徳の後継者たち」の会場へ行く。

展覧会は永徳以後の狩野派を取り上げたもの。永徳の死後、最大のライバル、長谷川等伯に仕事を奪われるなど、狩野派はピンチ。そうした状況下、永徳長男の光信が率いる狩野派は三面作戦へ。永徳次男孝信は天皇家の宮廷絵所預へ。豊臣家には弟子筋の山楽と内膳。そして、徳川家には光信の叔父長信と孝信長男の探幽。組織力での生き残り作戦と展開する。それそれがパトロンのために描いた障壁画の豪華絢爛な展示になっている。

桃山時代狩野派の会場、明治古都館を後にして、新しくできた知新館へ。建物の手前の看板にふと目をとめると、知新館の位置は、豊臣秀吉が建てた方広寺の境内に当たるとのこと。昨日見た洛中洛外図の方広寺の情景が頭に浮かぶ。

中に入ると、彫刻、書跡、染色、絵巻物などのジャンルごとに名品紹介。典型的な国立博物館展示はこれまでのままだが、最新の展示施設ですごく見やすくなったような。近世絵画では、いずれも作者不詳の風俗図の屏風が並んでいたが、いずれも力作。近世の絵画において、粉本主義により類型化が進むなど、マイナスイメージで捉えられることが多い狩野派だが、なかなかどうして、作者不詳でもこれだけ質の高い作品が描けることを評価してもいいような。専門家の間では、そうした再評価も進みつつあるのだろう。

最後、地下の講堂に降りていくと、講堂の前で中に入れなかった方々が、テレビ画面に映し出される記念座談会を熱心に見ている。バスの時間までしばらく、その楽しいトークに聴き入る。ちなみにこの座談会、近日中オフィシャルサイトで内容が紹介されるらしい。また、チェックしてみよう。

京都駅の伊勢丹でお土産も買って、午後7時過ぎには自宅の食卓につくことができた。こんなに手軽なら、今度は東京に行ってみるのもありかもと思い始める。