まぼろしの著作

山口昌男 エノケンと菊谷栄 読了。

エノケンと菊谷栄

エノケンと菊谷栄

本書の企画が最初に筑摩書房に出されたのが、1983年。きっかけは、NHKFMラジオに出演した山口氏が、日本の喜劇王エノケンに菊谷栄という座付作者がいたと、俳優財津一郎氏から聞いたこと。山口氏は、菊谷栄の妹から台本や舞台図などの提供を受けて、執筆を開始する。

しかし、その原稿は、山口氏の札幌から東京府中への移動の際のどさくさに流失。そして、山口氏は亡くなり、まぼろしの著作となるところ、札幌の古書店で原稿発見。編集者がもっていたコピー原稿に、山口氏が書き足した原稿も加えて再編集。まぼろしの著作が刊行がされる運びとなった。

本書は、単行本にまとめられた「挫折」の昭和史に先行するもの。突然に日本の近代精神史へと興味を持ち始め、山口氏の研究対象が大きく変わる転換点に位置づけられる重要な著作といえる。とはいえ、複数の原稿や書き足しを編集して、一つの本にまとめる作業は困難を極めた。

年代順に沿って文章を並び替え、組み込まれる場所の決まっていない原稿の束を整理して新たな章を設け、小見出しを加え、引用文の出典を確認し、事実関係の誤りを修正し、という作業を繰り返し行いながら文章の体裁を整えて、どうにかこのような形まで辿り着いた。

川村伸秀氏の献身的な作業により、まぼろしの著作が刊行されることになった。その編集力の賜物か、未完成とは思えないほどの出来で、菊谷栄が上海戦線で戦死するまで、ぐいぐい読ませる。そして、最後の最後で、プツリで原稿が終わり、(以下、原稿なし)の文字。その突然の終幕が、菊谷の生涯と重なる。