三浦義陳の江戸暮らし9

黒岩比左子 『食道楽』の人 村井弦斎 読了。
明治のベストセラー作家で、
現在では忘れられつつあった
村井弦斎の実像がたくさんの資料により見事によみがえっています。
これも弦斎の長女米子がたくさんの資料を管理しつづけ、
それが神奈川県近代文学館と平塚市博物館とに収蔵されているため、
可能になったものと思われます。
それにしてもこれほど緻密な伝記を書くのに、
作者がどれほど多くの資料を読み込んだことか。
スケールは全然違いますが、
宇和島藩士三浦家文書の書簡をせっせと読み続ける
私にはその大変さがすごく感じられました。
それでは三浦義陳の江戸暮らし9へ。


宇和島藩主村候の婚礼が終わった後も、
義陳の忙しさは続いている。
寛延3年12月9日は三ツ目祝儀で、
護姫の兄である佐賀藩主鍋島宗教が来る日。
朝から紅白の餅である皆子餅が580個も準備されている。
義陳は井関作十郎とともに、三つ目祝儀の御用掛を命じられている。
そのため午前7時頃には御殿に出仕し、
午前8時頃に皆子餅が到着した時には、
御表御式台の下座薄縁まで出て、
すぐに御奥御玄関まで運び込むように指示している。
午前10時には鍋島宗教が到着、双方の進物の交換が行われている。
その時にも義陳は作十郎とともに、下座薄縁まで出て、
鍋島家からの進物を御徒衆4人を運び役にして受け取り、
御小書院に運ばせ並べさせている。
この日の義陳は夜は寝番。
目のまわる忙しさであったろう。
翌12月10日は義陳の非番の日。
それでも義陳は小笠原縫之助へ、
婚礼のお礼かたがた、
明朝に御用番の老中へ書類を持参するようお願いする使者に出ている。
そして、翌12月11日。
今度は宇和島藩主村候が佐賀藩邸を訪問する。