三浦義陳の江戸暮らし8

久しぶりに
宇和島藩士三浦家文書より義陳の江戸での仕事ぶりを紹介する。


12月7日、
宇和島藩主伊達村候と佐賀藩鍋嶋家のお姫様護姫の婚礼当日。
夜明けから午前8時頃にかけてだんだんとお客様が集まってきた。
午前6時頃には護姫の御輿は佐賀藩邸を出発。
御輿が進むにつれて、場所の報告が次々と入る。
西久保辺りまで御輿が進んだ時に、
御注進の係りから御用掛の面々へ御白砂に出るように言ってきた。
それと同時に殿様(村候)をはじめ、
いらっしゃっているお客様方も御式台や御広間へと出てくる。
午前9時頃に護姫の御輿が到着。
対の御道具、対の御挟箱、御先乗物、あまかつ御乗物の順番で、
表の御門から入り、すぐに御寄付御門を通る。
御貝桶と御輿が先に来て、
御貝桶を梶田又兵衛が受け取り、井関又十郎と三浦義陳が添役を勤める。
次に御輿台が置かれ、その上に御輿が据えられる。
佐賀藩側の鍋嶋十左衛門から宇和島藩側の桜田伊勢へ御輿が渡される。
それが終わると御貝桶、続いて御輿も移動する。
この時、御貝桶の後ろに井関作十郎が左、三浦義陳が右に付き従い、
御奥玄関まで進む。この時、佐賀藩の御貝桶添役も同様に進む。
梶田又兵衛も同様に御玄関からあがり、奥玄関へと進む。
引き続いて御輿も進み、桜田伊勢がその供をする。
それから式へと入り、御盃事が終わると、
お客様へと二汁七菜の料理が出される。
御囃子の小舞などもはさみながら、
午後2時過ぎにお客様の宴はお開きとなった。
その後午後5時過ぎになると、
藩士にはそれぞれが詰めている場所において、
お酒の拝味が仰せ付けられた。
御肴が木具に盛られ、
大鮑、すし、氷こんにゃくもりまぜなどが出された。
義陳は表広間の詰所にて拝味。
謡いなどもありとてもにぎやかであった。
暮れ前に御殿での拝味もお開きとなり、
義陳は桜田伊勢、梶田又兵衛、神尾長門のもとへと挨拶まわりしている。
そして、最後に松根備後に頼んで、御婚礼が無事終わり、
自らも無事に勤めを果たすことができたという書状を宇和島に出した。


大名の婚礼の中で、貝桶の受け渡しは婚礼当日の最初に行われる大事な儀式。
文章にするとたいした仕事のように思えないが、
間違いがあってはいけないというプレッシャーは大きかったものと思われる。
家族に手紙を出す時の義陳のほっとした表情が思い浮かぶ。
このようにして、婚礼当日の義陳の長い一日は終わった。