三浦義陳の江戸暮らし10

寛延3年12月11日。
この日は幕府老中の御対客日。
宇和島藩主村候は老中を訪ねまわる。
そのため、朝早く午前4時過ぎにはお供する藩士が集まり、
まず館林藩主で幕府老中の松平右近将監(松平武元)を訪問。
午前5時頃には終わる。
この日は村候以外にもたくさんの人が老中宅に押し寄せたようで、
大変な混みようである。
それから秋元対馬守を訪問。
義陳の日記には「秋元対馬守」とあるが、これは「秋元但馬守」の誤りの可能性が高い。
秋元但馬守とすると、川越藩主で時の老中。
この秋元但馬守の屋敷もさらに大混雑。
村候が帰ろうとすると、御門前はごったがえしていて、
御供の上村藤太がまず転び、
その上に中の間の岡幸八が転びかかり、さらにその上に宮川十郎左衛門も転びかかる。
すっかり将棋倒しの体である。
上村藤太は目の上をしたたかに打ち付け、この後の御供はとてもできそうもない。
岡幸八も向こう脛が両方ともかなり切れている。
一番上だった宮川十郎左衛門はたいした怪我もない様子。
村候一行はそんなトラブルもなんのその西尾様を目指して猛ダッシュ
走り続けてなんとか西尾様の訪問も果たしている。
この西尾様とは横須賀藩主で老中の西尾忠尚のことであろう。
そして、ようやく午前8時前に宇和島藩邸に戻ってきている。


御供中の事故の一部始終を
一緒に御供に出ていた義陳はつぶさに書き記している。
これを読んでいると、
一見たいしたことなさそうな御供という仕事もなかなか大変そうに思えてくる。


この後村候の佐賀藩邸への訪問へと記述は続くが、それは次回に。