三浦義陳の江戸暮らし6

また、先にも記したが、
藩主村候と佐賀藩鍋嶋家のお姫様護姫との婚礼にあたり、
御貝桶添役という仕事が新たに割り振られ、
義陳の仕事はにわかに忙しくなる。
まず寛延3年11月6日に婚礼の日取りが正式決定すると、
義陳はそれを知らせる御案内使者として藩邸を出ている。
義陳は廻ったのは以下の五ケ所。
稲葉丹後守様(山城淀藩主稲葉正益)
西尾主水正様(遠江横須賀藩主西尾忠尚嗣子忠需)
岩城伊予守様(出羽亀田藩主岩城隆恭)
小笠原縫之助様
立花和泉守様(筑後三池藩主立花長煕)
朝五ツ時(午前8時)に出発して、夕八ツ半(午後3時)に帰着している。
11月16日には非番であった義陳に、
岡野助左衛門より井関作十郎とともに御殿に出るようにと話しがあった。
そして、暮前にかけて御白洲において
婚礼の時の御貝桶の受取渡しの稽古が行われている。
11月26日になると、
鍋嶋家より御道具が行列で運び込まれはじめる。
御道具は以降毎日のように六十荷ずつ到着している。
11月29日には大和田主殿より、
義陳と井関作十郎の婚礼当日の行動について、
御貝桶添役を勤めた後人が少ないので御通の方にまわるように指示を受けている。
そして、12月に入ると婚礼に向けてのリハーサルは本格化する。