東京で買った
氏家幹人 小石川御家人物語を少しずつ読み進めています。
この本は江戸の下級旗本の日記をもとに書かれていますが、
その日記とは「官府御沙汰略記」と名付けられたもので、
作者は、広敷添番の役を最後に隠居した小野仙右衛門直賢。
延享2(1745)年から安永2(1773)年までの29年間にも及ぶもので、
米粒より小さい文字でびっしりと記されているそうです。
本は一般向けに分かりやすくということを意識してか、
その娘が幕臣の生活を包み隠さず赤裸々に語るという体裁をとっています。
公用だけでなく、旗本の生活全般が、
この日記には詰めこまれてるからこそできることです。


内容は多岐にわたりますが、
例えば幕臣の夫婦は離縁が多かったということ。
氏家氏はそれを
「頻繁な離別、速やかな再婚、懲りない再々婚」と表現しています。
また、女性は持参金をもって嫁いでいるので、
離別する時にはそれをしっかりと取り返していたということ。
これなど以前磯田道史氏が武士の家計簿 ―「加賀藩御算用者」の幕末維新 (新潮新書)に記してあった
江戸武士の女性は嫁いでも自分の財布をもっていて、
婚家の財布とは別になっていたという話にも通じそうです。
氏家氏の本には、離縁した幕臣の女性が奥女中奉公に出る話しも登場します。
これは以前このブログに紹介した宇和島藩士の娘三浦ほのの話しとも共通します。
幕臣にも園芸植物を育てるガーデナーが多かったことも記されていますが、
これも三浦家にあてはまること。
読めば読むほど、
三浦家文書を読んでいる自分としては共感する部分がたくさんあります。
それにしても、私が三浦家文書をみて気づいたことが、
旗本の日記をもとに既にこのように記されていたなんて。
先行研究への目配りのなさにあきれるとともに、
氏家氏の本に何か新しいものが付け足せるのか、
少なからず不安に思いました。