自己中心の文学

昨年春の異動により、宇和から松山に引っ越した。仕事の内容も大きく変わり、心の余裕も失っていた。状況は今もあまり変わらないが、細々と書いていきたい。

読んでいた青木正美 自己中心の文学からメモ。

自己中心の文学―日記が語る明治・大正・昭和

自己中心の文学―日記が語る明治・大正・昭和

日記の指南書を取り上げている部分に、「通俗作文全書一一」の『日記文範』(大和田建樹編、博文館、明治四〇年)が紹介されている。そのはしがきに次の文章がある。

自分の八、九歳の頃だった。父が京都詰となって一年家に居らず、母はその日その日を細かに記してゐた。母はそれを読んでくれたが、芋の餅を幾つ貰ったなどとあった。自分が笑ふと、人さまの親切を記しておいて父に知らせるのだ、お前も後日日記を書く時は気をつけよと、母はさとした。結局自分は三十歳になって日記を記し始めたが、今は悔いてゐる。青年諸氏に日記を勧める所以である。

おそらく、これは編者大和田建樹の文章であろう。大和田の父親は宇和島藩士。京都詰めとなり、遠く離れた地に赴任していた折には、母親が留主中の日々のことを父親に書き送っていたことが記されている。宇和島藩士三浦家文書には、江戸から宇和島に送られた日記は遺されているが、残念ながらその逆は見出せない。遺されていると、江戸時代の武士の貴重な生活史料となりうるのだが…