武士と料理

磯田道史氏のベストセラー武士の家計簿 ―「加賀藩御算用者」の幕末維新 (新潮新書)が映画化された時には、地味な歴史研究が映画として成立するのかと思った。映画の紹介に異色時代劇の文字が使われた理由もそのあたりにあるのだろう。そして、「武士の献立」。観てみたいと思いながらも、まだ観ていない映画だが、この「武士の献立」もその根底に歴史研究の成果があったことは不覚にも知らなかった。

陶智子・綿貫豊昭包丁侍 舟木伝内: 加賀百万石のお抱え料理人は、映画を支えた歴史研究の成果をまとめたもの。著者は映画の料理考証をつとめた二人。特に陶氏は加賀藩前田家の御料理人(包丁侍)であった舟木家の料理書に関する研究に取り組んできた。本書では最初に御料理人の位置づけがなされている。加賀100万石の武士の中で、御料理人は「御歩並」で、「足軽」よりは上だが、「士分帯刀身分」では最も下という、いわゆる下級武士であったことが紹介されている。武士の家計簿の猪山家がつとめた「算用者」も「御歩並」だそうで、この階層には藩にはなくてはならない技術職が多く含まれていたことがうかがえる。

次に舟木家の歴代の紹介や舟木家が江戸で幕府の台所頭に師事し、四条家薗部流の伝授を受けていること、そして後世に遺した料理書の内容が記されている。

本書の中で最も興味深い部分は、後半の加賀の大名料理を再現するところである。舟木家の料理書をもとに、研究者と金沢の料理人がその復元に取り組むが、書かれていない行間を読みこんで料理を完成させる過程でとてもスリリング。季節感と食材を大事に、とても時間をかけて料理を調えていることがよく伝わってくる。金沢名物のゴリと針ゴボウだけを使ったシンプルなゴリ汁。暑い夏、食欲減退した時にぴったりな霊仙梅(名前がスゴイ)。そして、アワビを形がなくなるまですりおろすという驚きの料理法のアワビ貝餅。現代の料理書にはとても載せられないような料理ばかり。他にも面白い料理ばかりなので、この部分はぜひ直接読んでいただきたい。

ちなみに、本書は御料理人という専門職の料理であるが、では普通の武士の料理の腕前はどうだったのだろう。「男子厨房に入らず」の言葉もあることから、料理をほとんどしなかったと思われそうだが、宇和島藩士三浦家文書にも若干の料理のレシピが含まれている。それについては、現在、開店休業中の三浦家文書研究会のホームページに「三浦家のレシピ」として一部紹介している。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Club/6700/

江戸武士の場合、参勤交代で江戸暮らしをするので、勤番長屋で料理をすることもそれなりにあったであろう。武士と料理は意外な組み合わせではないのである。

本書の著者、陶氏は「加賀藩主御膳弁当」という加賀料理に関する事業を手がけていたが、あとがきによると病により筆を折られたとある。また、ウィキペディアには亡くなられたことが記されている。残念ながら本書が遺作となった。本棚を探してみると、以前買って積ん読になっていた
加賀百万石の味文化 (集英社新書)が見つかった。こちらの方も時間を見つけて読んでみたい。