新しい視点からの赤穂浪士像

年末に購入した山本博文 「忠臣蔵」の決算書 を幸先よく読み終わる。

「忠臣蔵」の決算書 ((新潮新書))

「忠臣蔵」の決算書 ((新潮新書))

天の邪鬼の人間なので、これまで忠臣蔵などの有名な事件を書いた本はスルーしてきた。その反面、江戸時代のあまり知られていない人物を取り上げた本の方が好きだったりする。でも本書は、赤穂浪士を経済的な側面から読み解くという趣向に惹かれて読んでみた。

赤穂浪士は江戸時代の同時代的にも有名な事件だったので、事件からごく早い時期に四十七士たち自身の覚書、書状類などが整理され、多くの編纂物がつくられたらしい。そのため事件そのものの史実や当時の武士の倫理観や心性についてはかなり多くの研究がなされてきたという。

それに対して、本書は全く新出の資料で勝負しているのかと思ったが、さにあらず。山本氏が持ち出してきた「預置申候金銀請払帳」(「金銀請払帳」と略称)は研究者には既によく知られた史料で、新発見史料ではないそう。しかし、経済的な側面から赤穂浪士の行動を見る視点はこれまでの研究に欠けており、山本氏はそうした新たな視点から「金銀請払帳」を読み進めていく。

「金銀請払帳」とは、四十七士を率いた大石内蔵助が、討ち入り直前に亡君浅野内匠頭正室瑤泉院へ向けて提出した「決算書」ともいえる史料。そんなに大部な史料ではなく、最初に4口分の入金の記述があり、以下113口分の出金の記述が続く。

大石が浅野家改易時に握っていた軍資金は691両で、現在の貨幣価値に直すと1両12万円で8292万円。半分は瑤泉院から運用を委ねられていた化粧料、残り半分は赤穂藩をたたむ時に出た残金。そのお金を内蔵助は、亡君の仏事や浅野家再興のための工作に当初使っている。初期のうちに内蔵助は、約4分の1を消費してしまう。次に必要になったのが、上方の同志たちを江戸へ送る旅費や逗留費。さらには収入の少ない江戸暮らしで困窮していく浪士たちへの生活援助費。山本氏の分析によると、江戸の中心地、武家屋敷もかなり多かった麹町だと、そこそこの広さの借地で月7万円は必要だったとのこと。それに追加して番銭、現在でいう所の管理費も負担させられているところなど、とってもリアル。最後に食費もなくなってきた浪士に一カ月6万円の手当て。江戸では食べ物を購入しないといけないので、生活するだけであっという間にお金は飛んでいく。

山本氏は「金銀請払帳」から見えてくる元禄武士像を次のようにまとめている。

赤穂の浪人たちは、「武士の一分」を立てるためには成否を考えず闇雲に行動するという直情径行な武士ではなかった。そうした気持ちを抑え、武士としての筋を通すためには、一定の計画性とそれを実行する人数が必要で、そのためには多少の意見の違いは越えて一味し、それに参加するしかないと、理性的に考えていた。そして、その首領である内蔵助は、藩を手仕舞った資金の一部を手元に残し、討ち入りまでにこれを巧みに使った。元禄武士とは、そのような武士であった。