ゆるさがうらやましい?

氏家幹人 旗本御家人 驚きの幕臣社会の真実 読了

旗本御家人 (歴史新書y)

旗本御家人 (歴史新書y)

本書は著者の言葉を借りると、「『醇堂叢稿』を中心に、他の有名無名の史料をからめながら、旗本御家人幕臣)の世界に、いままではすこし異なる視点で光を当てようとした試作」で、新撰組彰義隊も登場しない、「幕末無名列伝」ということになる。

著者が用いた『醇堂叢稿』は、旧旗本の大谷木醇堂が明治半ばに綴ったさまざまな原稿の総称で、全45巻。著者はこの『醇堂叢稿』の複製物を通勤電車や自宅のソファーで日々漫然とながめているうちに、本書の構想ができていったとのこと。くずし字の古文書を、現在の小説や随筆を読むように、くつろぎながら読むことができる解読力。うらやましい。「記録学者」といわれ、その博識を「随筆学問」といわれた醇堂が書き残した無名幕臣のおもしろおかしいエピソードを見事につなぎあわせて紹介していく技。まさに氏家ワールド炸裂といった感じである。

この本からどの部分を抜き出しても面白いエピソードだらけだが、一つだけ取り上げると、幕臣には高齢者が多かったという部分。醇堂は祖父藤左衞門の米寿の祝宴に招いた長寿者リストを記しているが、その年齢は、117歳、113歳、113歳、99歳、97歳、96歳、86歳、83歳と驚くべき高齢者ばかり。しかも一人を除くと、いずれも現役の幕臣である。江戸城内には、老人の幕臣のための「老衰場」と呼ばれる役職もあった。それは「旗奉行」「鎗奉行」などの役職を指し、戦時には重要な役職でも、泰平が続く時代には名誉職。高齢者が当てられ、在職中に没するものも多く、「老衰場」は「臨終場」でもあった。

それにしても、醇堂が記す長寿者の年齢、高すぎやしないか。それについてもちゃんと解答が。江戸時代、大名や旗本の当主が17歳未満でなくなると、養子が許されずお家は断絶とする相続の決まりがあったとのこと。でもこれは江戸社会のタテマエで、様々な抜け道が。意外なことに出生届などもいい加減なもので、出生届を出さずに、ある程度の年齢をいってから丈夫届を出すという方法も認められていたらしい。その丈夫届の際に、サバ読んで17歳に近い年齢にして届け出ることも普通にやられていたらしい。それは幕府も半ば公認で、一人の人物に私齢(本当の年齢)と官齢(幕府に届けた年齢)とがあったのである。2,3歳の水増しは当たり前、場合によっては10歳以上も水増しされていることもあったそうだ。勝海舟の父小吉が7歳で勝家に養子に入った際、17歳と称して小普請支配に挨拶に行った話しなども傑作。以前、幕臣が家格を上げるために、より上層の家の子どもと詐称して養子に入る「入れ子」という仕組みが登場したが、家柄、年齢、何でも詐称できる融通無碍な社会、それが江戸社会である。現在のような競争社会から見ると、堕落した社会に見えるかもしれないが、このゆるさがうらやましく見えてくるのは私が疲れているからだろうか。