江戸庶民の空気

青木美智男 深読み 浮世風呂 読了

深読み浮世風呂

深読み浮世風呂

発売以来、本屋の本棚で何度も手にとりながら、ぱらぱらめくってまた本棚に戻す。本書は面白そうと思いながらも、なぜかこれまで縁がない本だった。それが先般大阪で巨大書店に行ったものの、あまり本が多すぎて何を買うべきかわからなくなって、うろうろした挙げ句に最終的に購入したのが本書であった。結論から言うと、買って正解。

著者には本書より先に、小林一茶の俳句から文化・文政期の時代像を読み取ろうという試み、一茶の時代がある。今回は一茶と同時代を生きた式亭三馬浮世風呂浮世床と素材に、同時期の庶民目線からの巨大都市江戸を紹介している。大阪夏の陣から200年。そこを流れる空気は、戦後65年以上を経過した現代とどこか似ているような気もしてくる。

三馬が作品の舞台に選んだ浮世風呂。取材源の秘匿からか場所は記されていない。しかし、浮世風呂での会話をもとに、著者は日本橋界隈と場所を絞り込み、その客層を「日本橋界隈か、それに近い神田あたりの裏長屋で、日本橋の大店や棟梁たちに取り入って、途切れなくいい仕事が入ってくる職人や、株仲間外でも在方商人と結んで利益を上げている小商人」と想定している。この時代、江戸幕府は米価低落、諸物価高騰に悩まされている。幕府や諸藩、旗本・御家人たちの苦難を尻目に、浮世風呂の町人たちは江戸を謳歌している。

江戸以外では商品がさばけないため、消費都市江戸には次々に商品が運ばれてくる。毎年、灘や伊丹から100万樽の清酒が江戸に入ってきても、それを飲み干す胃袋が江戸である。こうした活発な経済活動により、裏長屋の住民であっても景気がいい。まさに三馬はこうした階層が浮世風呂浮世床で交わすリアルな会話を、洒落本に記しているのである。その会話は上方と江戸の比較論から、化粧・髪型・着物の最新ファッション、料理茶屋から子どもの教育問題まで多彩。なかでも、国学かぶれのご婦人二人の女風呂での会話は驚き。女性の教育熱、学問熱がこの時代そこまで高まっていたため、三馬はこの二人を登場させているのだろう。著者によると、この試みは庶民の女性をターゲットにした新たな文芸への模索であり、浮世風呂は戯作のなかで間違いなく女性に向けた小説の第一号と評価している。庶民の女性の文字文化は歴史史料からはなかなか見えにくいが、浮世風呂という時代の空気を閉じ込めた文学作品を使うことで、文字と向き合う女性の姿を見事にとらえている。

最後に、本書は小学館の人文図書というシリーズの1冊。浮世風呂の挿絵、熈代勝覧、浮世絵などの絵画資料、様々な図表がふんだんに挿入されるほか、本文下段には本文で分かりにくい部分の解説がさらに詳しく付けられている。歴史の本のつくり方としてはとてもよくできている。こうした本が継続的につくられるとよいのだが。