和宮ゆかりの雛かざり

先日、国立歴史民俗博物館の『和宮ゆかりの雛かざり』から岩淵論考を紹介したが、それ以外の部分も読んでみて興味深かった点をメモしておきたい。

まず国立歴史民俗博物館和宮ゆかりの雛かざりの伝来について。ごあいさつの部分には、「和宮逝去ののち、徳川十六代家達からその娘鷹司綏子、松平綾子へと受け継がれたもので、和宮所用の雛道具の一部をなしていた」と記されている。また、有職雛を納めた箱の蓋には表裏に貼り紙があり、表の貼り紙には「宮様御品 小内裏雛一対 御床の間の前ニかざる」 、裏の貼り紙には「静寛院様御品 小内裏雛一対 此内裏様一番御位よろしきの故 小さくとも上位にならべること」と記されている。貼り紙は徳川家達時代のものと推測されているが、和宮所用を裏付ける内容となっている。

この「一番御位よろしき」とされる有職雛は「小内裏雛」とも記されているようにかなり小振りの雛人形に見えるが、図録に寸法データがないのは残念である。注目されているのが、女雛の紫地の表着の模様。亀甲つなぎが地紋、その上紋に八葉菊の模様が織り出されていること。亀甲つなぎに八葉菊の模様は、和宮に調進した別の裂にも見られるらしい。この模様が皇室ブランドの証しということになるのだろう。雛人形が座る台も由緒ありげにも見えるが、特に言及はない。また、御所人形のうち3躯、三ツ折人形のうち2躯は、箱書により慶応3(1867)年に、兄の孝明天皇の形見分けとして和宮に譲渡された品であることが分かるそうだ。そのうちの三ツ折人形の方にも袖に菊模様が入っている。

図録では和宮の雛飾りに関して、以下のような記録があることも紹介されていて興味深い。
  「和宮様御雛満留」(宮内庁書陵部蔵)
  「静寛院宮御側日記」 (宮内庁書陵部蔵)
  「和宮様おひゐな御道具」(内閣文庫蔵)
  「和宮様御婚礼御用御入用帳」(内閣文庫蔵)
一般の観覧者の需要はないのかもしれないが、これらの記録が活字化されたら、個人的にはぜひ読みたいところ。これらの記録から読み取れることとして、3月3日の節句には、和宮は大奥3カ所に雛人形を飾り、知人と雛人形の贈答もしていたこと、和宮の雛道具には両家の家紋入り(葵紋・菊紋)のものが含まれており、15対もの雛人形が並べられていた年もあること、が紹介されている。

一方、伝来の雛道具はなぜか両家の家紋入りのものはなく、牡丹唐草の七澤製のものが多く遺されている。その理由を文久3(1863)年の江戸城本丸消失に求めている。図録の解説では、江戸池之端にあった有名人形店、七澤屋について安政元(1854)年の「わすれのこり」という資料が紹介されている。有名な資料なのかもしれないが、記憶にないので忘れないようにメモ。

池之端七澤屋仙助、けしもの遊び、人形、台所道具などは方寸(3cm四方)のうちに鍋釜、へっつい、水がめ、まな板、包丁その他世帯道具、ことごとく集めたる、実に壷中の天地ともいふべし。その値は実に世帯をもつよりも貴し

七澤屋の雛道具の小さくて精巧なこと、大変高価なことが伝わってくる文章である。

国立歴史民俗博物館のHPの館蔵資料の紹介に有職雛が紹介されていた。そこには寸法もあり、男雛が高さ16センチ、女雛が高さ11.8センチの小ささであった。