源頼朝の顔

黒田日出男『源頼朝の真像』を読了。

源頼朝の真像 (角川選書)

源頼朝の真像 (角川選書)

神護寺蔵の国宝伝源頼朝像。源頼朝というと、その肖像画の顔を思い浮かべる人も未だ多いと思うが、実はその肖像画に描かれているのは、室町初代将軍足利尊氏の弟直義だった、という衝撃的な本が出版されたのは1995年。米倉迪夫の『源頼朝 沈黙の肖像画』であったが、著者は米倉説を支持、それでは源頼朝の本当の顔はどのようなものだったのか、追求が始まる。

著者が頼朝の顔として行き着いたのは甲斐善光寺源頼朝坐像という肖像彫刻。この肖像彫刻はもともとは信濃善光寺にあったが、その川中島の戦いの影響で武田信玄が甲斐に移転させた。著者は信濃善光寺の歴史を繙くことから始め、善光寺源頼朝北条政子との深い関係を指摘、さらに損傷があり難読とされる源頼朝坐像の胎内銘の解読を試みる。その解読のポイントは、文保3(1319)年の年紀の入る胎内銘が修理の際のもので、文和・正和の火災により頭部だけが救出され、体部は修補されたこと、また「以尼二品殿御沙汰」とあることから、北条政子の命により頼朝坐像が造像されたことにあるだろう。この解読を信用すると、頼朝坐像の頭部は政子の没年嘉禄元(1225)年以前につくられたことになり、武士俗体肖像彫刻は鎌倉後期に始まるという定説も見直しを迫られることになる。この著者の見解が妥当なものかどうかは専門外の私には判断がつかないが、頼朝坐像から得られる頼朝の容貌は、神護寺のものと大いに異なるだけでに興味深い。

源頼朝坐像の面貌は年配者のものだ。目尻に皺が入っているが、ほかに皺はない。年齢は五十歳前後であろうか。年齢は五十歳前後であろうか。また、大きな顔をしている。面長の堂々たる大顔である。大きな鼻、しっかりした顎。頬骨は張り、髭が濃いその顔年齢表現など、源頼朝晩年にふさわしい肖像彫刻のように思われた。
その顔はとても個性的である。親しみやすい顔ではないが、とても存在感がある。迫力のある、一度見たら忘れられない顔である。しかも。現代にもいそうな、実在の顔に見えて仕方がなかった。ふっと、子どもの頃によく観た東映時代劇の、悪役として活躍した名優山形勲(1915−96)の顔が浮かんだ。

著者は頼朝坐像の第一印象をそう記している。武家の棟梁にふさわしい堂々とした容貌といえよう。NHK大河ドラマの「草燃える」(1979年)では石坂浩二、「義経」(2005年)でな中井貴一とどちらかというと華奢な感じの役者が頼朝を演じることが多かったが、坐像の容貌を考えるともっと無骨な役者の方がふさわしいようにも思えてきた。