無名な人々の裾野

板坂耀子『江戸の紀行文』読了。

江戸の紀行文―泰平の世の旅人たち (中公新書)

江戸の紀行文―泰平の世の旅人たち (中公新書)

著者はこの本を通じて伝えたいことを三つにまとめている。

(1)江戸時代の紀行は面白い。
(2)その面白さを理解するには、「豊かな情報」「前向きな旅人像」「正確で明快な表現」という、新しい評価基準で紀行を見直す必要がある。
(3)江戸時代の紀行の代表作は松尾芭蕉の『おくのほそ道』ではなく、初期の貝原益軒の『木曽路記』と中期の橘南谿の『東西遊記』、後期の小津久足の『陸奥日記』である。

江戸の紀行文の評価としては、古くは『おくのほそ道』が頂点で、それ以降の紀行は一部の例外を除いて見るべきものはないというものだった。それに対して、著者は『おくのほそ道』が江戸時代の紀行文としては孤立した異色作で、それとは別の流れとして「新鮮な紀行文芸」が模索され、誕生、発展、完成したと主張している。そのことを具体的に示すために、林羅山、石出吉深、貝原益軒本居宣長、橘南谿、古川古松軒、土屋斐子、小津久足の紀行文が俎上にあげられている。

それぞれの紀行文には原文と著者による訳文が示されており、原文がとっつきにくくても訳文で意味がわかるようになっている。紀行文は様々な文体で記されているが、その中に「源氏物語」などの古い和文にならって書く擬古文というものがある。まわりくどくて、わかりにくい、くねくねした感じの文体。国学者がよくこの文体で文章を書いていて、読むのがいやになるような文章。江戸時代の紀行文の評価が下がったのも、案外このせいかもしれない。しかし、その本家本元、本居宣長の文章が意外と分かりやすいのには驚いた。著者は宣長和文が分かりやすいのは、自身が批判した漢文の明晰さや論理性を取り入れているからと評している。

宣長の「菅笠日記」には、「じんにくん」とあだ名が付けられたユニークな案内者(観光ガイド)が登場する。このガイド、宣長一行のいろいろな質問に荒唐無稽な珍答を次々に繰り出すが、神功皇后のことをなぜか「じんにくん」と言い続けたことから、このあだ名が付けられたという訳。国学者の紀行文というと、固くて観念的な和歌でいっぱいに思えるが、宣長のものはそうでないらしい。最近、江戸時代の観光地にいた観光ガイドにちょっと興味があるので、その意味でも興味深い。

宣長のような有名人の紀行文は面白いが、最後の二人、土屋斐子、小津久足の紀行文もそれに負けず劣らず面白い。著者はその中でも小津久足を高く評価しており、「すぐれた紀行作家であったのみならず、紀行評論家、旅行評論家としても久足は、江戸時代における唯一最大の存在であることを認めざるをえない」と最大限の賛辞を記している。ちなみに、この小津久足、映画監督の小津安二郎の先祖に当たるそうだ。

小津久足は伊勢松坂の豪商の家に生まれ、滝沢馬琴の友人、蔵書家として知られる存在。その一方で家業での旅行や自分の楽しみで遊覧した際の紀行文が50点近くも現存しているという。その紀行文がどのようなものかは、本書をご覧いただきたいが、著者が次のように記しているのが印象深い。

いってみれば無名に近い地方の商人にすぎない彼でこれかと思えば、何やら江戸時代の知的水準のすごさも感じられて圧倒される。

私も江戸時代の無名人の旅日記が好きでよく読むが、単なる備忘録のようなものも多いが、結構読ませる内容のものも多く見つかった。江戸の文化を研究する場合、頂点の思想家も大事であるが、活字にもなっていない無名な人々が形成する裾野の部分をいかにとらえるかが大事だと思った次第。