大原幽学と飯岡助五郎


高橋敏 大原幽学と飯岡助五郎 読了。

大原幽学と飯岡助五郎―遊説と遊侠の地域再編 (日本史リブレット人)

大原幽学と飯岡助五郎―遊説と遊侠の地域再編 (日本史リブレット人)

山川出版による日本史リブレット人のシリーズ中の一冊である。100冊の刊行が予定されているが、支配者・政治家・文化人などの有名人の名前がずらっと並ぶ中では異色ともいえる一冊。一般人でこの二人が何を成した人物かいえる人は少ないかもしれない。大原幽学は村落復興運動の指導者、飯岡助五郎は博徒である。100冊で誰を取り上げるのかいろいろと議論があったかもしれないが、高橋氏のこれまでの研究の蓄積があったこととはいえ、このシリーズにあまり知名度のないこの二人が入ったことを素直に評価したいと思う。

それぞれの成したことを見ると、一見共通性は見当たらないが、二人とも幕末の下総国の東部、利根川下流域と九十九里浜に生きており、同じ時代、同じ地域を生きたという共通性がある。二人が生きた地域は下級幕臣の与力や旗本などの所領が複雑に入り組んだ非領国地帯で、治安・警察機能は関東代官の手付、手代からなるわずかな人数の関東取締出役にゆだねられていた。また、この地域は当時醤油と干鰯に代表されるような一大産業が発展してきたことから、大きな社会変動の波に洗われ、飲み・打つ・買うの放蕩三昧な暮らしにより身を持ち崩す人間も多く、村落は崩壊の危機に直面していた。

そうした社会変動の時代、出稼ぎ猟師の余所者であった飯岡助五郎はこの地域に入り込み、生業は地引網主、裏家業が博徒の親分という二つの顔をもち、さらに関東取締出役の道案内をつとめるなど権力と共棲する形で、他の博徒のように非業の死を遂げることもなく、68歳の生涯を生き抜いている。一方、漂泊の浪人大原幽学も、同時代にこの地域に入り、先祖株組合の結成、耕地の交換分合、預り子・取替子などの仕法を行い、幽学が唱える性学は東総の村々に急速に浸透していく。しかし、幽学の性学を迎え入れた村は潰れ百姓が再興され、年貢未進者が皆無となり、模範村となったにもかかわらず、幽学の身分の曖昧さが問題となり弾圧を受けて、幽学は自決している。この二人の対比を、高橋氏は次のように記している。

二足の草鞋の博徒に人別があり、荒廃した村々の救世主が「無宿」の恐怖におびやかされるという構図に、江戸時代後期村落社会の面白さがある。