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今日は休日で、
娘をピアノ教室に送るために八幡浜へ。
いつものように新古書店で時間つぶし。
たくさん読むものが手もとにあるので、
何も買うつもりもなく、ぶらぶら見ているうちに、
なぜか数冊買うはめに。
肩に力がぬけている時の方がいいのでしょう。
愛新覚羅顕除轣@清朝の王女に生まれて
高島俊男 お言葉ですが…
- 作者: 高島俊男
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待ち時間には、六十一歳の大学生、父野口冨士男の遺した一万枚の日記に挑む (文春新書)を読み進める。
野口冨士男は、慶應大学に残っていれば、史学科に進みたかったそう。
確かにその仕事ぶりは、歴史家にも似たところがあります。
一度何かにとりかかると、
徹底的に納得がいくまで調べなければ気がすまない「ヘキ」で、
その最たるものが『徳田秋声傳』だそうです。
日記にもその性癖は存分に発揮されていて、
終戦直後の日記には、
「看板以外の貼札、張紙、引札などを片っぱしから写せるだけ写し」た、
ページもかなりあるようです。
また、戦後の町の様子の記述も、さすが作家ならでは鋭い捉え方で、
その時代に生きていない人間にも臨場感をもって迫ってきます。
つまり、野口冨士男の日記は、
歴史的な視点を強くもつ作家の記録ともいえ、
文学史の研究にとってはもちろん重要なのでしょうが、
戦後史の資料としても十分活用できるのではないでしょうか。
著者の平井一麥さんは、
既に原稿用紙1万枚以上ある日記の入力を終えています。
プライバシーや採算性の問題もあるのでしょうが、
将来的にはなんとか刊行にこぎつけて欲しいと思いました。