田じしを食う

前回も取り上げた
「紀行漫筆したわらび」(明治35年刊)は、
大和田建樹の子どもの頃、
つまりは幕末から明治初期の宇和島の様子が記されていて、
とても興味深い本です。
日本の古本屋で検索すると、この本18,900円で出ています。
もちろんそんな高い本を買うお金はありません。
宇和島郷土叢書の11巻として
一部抜粋したものが昭和47年に刊行されているので、
私はそちらの方を利用しています。


今日引用するのは、肉食に関するところ。
宇和島藩士三浦家文書では、
江戸の寒い冬の勤番長屋で、
鶏・猪・カモシカなどの肉が食べられていたことを以前記しましたが、
大和田建樹によると、
牛肉を食べるようになったのは明治に入ってからのようです。


牛を殺して其肉くふこと。
是も明治の二三年頃よりおこりけん。
始は其名をいみも忌み嫌ひつヽ。
田を耕す猪なればとて。
田じヽと称へ。
又は子丑寅の順序によりて。
寅の前などヽも呼びたりき。
太神宮の嫌はせ給ふものなりとて。
神棚ある家にては鍋をもちだし。
庭にて煮る人もありしとぞ。


田を耕す牛には、
他の鶏や猪とは別の観念があり、
明治に入るまであまり食べられなかったようです。
神棚のある家では、
鍋を庭に持ち出して食べるなど、
当時の人々の観念をよくあらわしています。
それから140年近く経ち、
日本人の食生活も大きく様変わりしたものです。