明治維新と江戸武士1

明治4(1871)年に宇和島藩士三浦家の9代当主義質(よしかた)が、
息子の肇(徳義)に宛てた手紙が6通残っています。
また、先に写真のところで一部紹介しましたが、
義質の妻とせ(とし)が、
肇(徳義)に宛てた手紙がやはり6通残っています。


当時義質は宇和島にいて、肇(徳義)は藩命により東京に在勤中で、
宇和島だけではなく諸国の兵とともに、巡羅の職を勤めていました。
後に肇(徳義)はその仕事について、「市内浅草見附及蔵前等ノ警固ニ従事ス」と書き残しています。
手紙が記された明治4年というと、明治維新を経て、
新政府の新しい政策が矢継ぎ早に発表されていく時期。
廃藩置県が行われ、
武士の生活が大きく揺らいでいった時期でもあります。
義質は数え年でちょうど50才。
隠居はしていないものの、非職でしかも知行が廃止となり、
50俵の俸禄だけをいただいている身です。
それでは維新の荒波の中、
江戸武士がどのような手紙を交わしているのか紹介する。
まずは6月5日付の手紙をのぞいてみましょう。


大蔵卿様(伊達宗城)は支那(中国)にお渡りになるとのことで、
それに先立ち先月16日に宇都宮慎蔵が出発したとの通達について、
武田から知らせがありました。
そこで、あなたも5月9日に神戸か兵庫かに到着し、
12日に乗艦して16日には東京に到着して、
冨田恒一が大蔵卿様にお目見のところに行き当たったということを聞きました。
本当にとてもつもない早い到着で安心しました。
まだ船も帰って来ず、乗船後の便りもないので気にしていました。
特に17、18日は大雨で、ちょうど船中にいるのだろうと思うと大変に心配しました。
早い到着でほっとしています。
この頃はそちらもさぞ暑いことと思います。
加養第一に心がけてください。
この間土州に修行に行っていた者が帰ってきましたが、今度は土州人も一緒に来ました。
修行のやり方も変わり、今は身体の修行を先に教えるとのこと。
首を振ったり、かがんだりのけぞったりして、とても疲れて大変だそうです。
そちらでも、そのような稽古があって大変だと思います。
6月3日には非職の17才から38才までの者が、
六ツ時(午前6時)に練兵場に集まるように通達がありました。
次男や三男まで背が高いとか低いとかの検査とのこと。
背が低い者、虚弱の者は除かれ、壮強之者が選ばれるそうです。
御仕成がよくならない限り、非職を好むようになり、自然と励む心を少なくなるということです。


おとせ(とし)も次第によくなり薬ももう止め、
6月3日には朝から加藤の家にも行きました。
ただ、まだ頭痛がたまにするとのこと。
血分が回復するにはまだ日数がかかるようなので、あまり心配しないでください。
延次郎は水練にこの間入門しましたが、とても面白いそうで元気に通っています。
ここまでこの手紙を書きましたが、飛脚が着いたとの知らせがあったので、
早速取りに人を遣わしたたところ、
5月10日の夕方午後4時過ぎにあなたが神戸で出した手紙がありました。
3日の船旅で無事に神戸に着いたとのこと。
三日で着くとは古今あまりないことで、自然相手のことなので、
大変難渋して食事ものどを越さない時もありますが、今回はそれ程のこともなかったのでしょう。
あなたが半年ぐらいで交代となり、宇和島に帰って来られたらいいと思っています。
私もすごく元気で、先日は新田の内外に網打に出かけましたが、
少しも具合の悪いところもなく喜んでいます。
追々冷気が増してきましたが、歩行(散歩)などしたらよいだろうと楽しみにしています。


加藤友一の妻には笠原の娘が決まりました。
戸籍改もあらかしじめ記しておきましたが、少々不具合のところもあり、
書き直して提出してやっと済みました。
とても難しくて一度で無事に終わったものはいない程です。
家来がよく頑張ってくれて、キュウリや茄子がたくさん出来ました。
よそにあげる位の豊作です。
以前に言っておいた通り、浅草通りの駒形で五十余りの者が付ける目鏡(メガネ)を買い求めてください。


内容は旧藩主伊達宗城の動向と、
東京へ旅立った徳義の体を案じたもの。
さらに宇和島の様子が徳義に知らせていますが、
土佐の人間が軍事教練に来て、そのやり方が大きく変わったことが記されています。
首を振ったり、かがんだりのけぞったりすると書いていますが、
これは今でいうラジオ体操のようなものでしょうか。
江戸武士はこのようなみんな一斉に体操ということはこれまでなかったため、
とまどっている様子がうかがえます。
また、6月3日には非職の若い者が集められ、
徴兵検査のようなものが行われていますが、
義質のような年長者は蚊帳の外。
御仕成がよくならない限り、自然と励む心がなくなると、
新しい政治への愚痴を義質はこぼしています。
ちょうどこの頃、
妻のおとせ(とし)は血の病。
年齢から考えると、更年期障害と思われますが、頭痛などで苦しんでいます。
非職の義質は網打ちに出たり、
散歩をしたりと健康に留意していますが、
徳義に眼鏡を頼んでいるところから見ると、
老眼の症状が出ているのかもしれません。
家の中で元気いっぱいなのは、徳義の弟の延次郎ぐらい。
延次郎は水練に毎日のように通って、一人楽しそうです。