三浦義陳の外出5

三浦義陳の外出についてのつづき。
今回は9月の4回の外出のうち後半2回分。


9月19日
非番。
西川屋五郎と一緒に神明社の祭礼で神明前に行く。
神明社で上野弥五郎も合流する。
神明社は祭礼のため大にぎわいで、女相撲を見物してから印籠、根付なども購入する。
それから日蔭町の方に行き、
茶屋にあがり酒肴をいただいてから、暮れ時に御屋敷に帰った。
江戸に来てから一番のにぎわいであった。


この日は義陳のホームグラウンドともいえる芝の神明社のお祭り。
神明社の祭礼は、9月11日から21日までの
10日間も続くことから「だらだら祭り」の名で呼ばれている。
また、祭礼中にショウガ市が開かれたため、ショウガ祭りともいった。
9月初めには早くも社内にいろいろな小屋が建ち並び、
軒提灯も連なって露店も建ち並んだが、その中で義陳らが見物したのは女相撲
これは女性同士の相撲で、延享年間から江戸で度々催されている。
最初は腰巻きだけだったものが、風俗を乱すという理由から男性のようにまわしをしたり、
小さい化粧まわしのような布をさげるようになったといわれる。
相撲というよりもお色気がメインの見世物。
単身赴任の勤番武士にふさわしい(?)見世物なのかな。
女相撲の後には、印籠、根付などの買い物も楽しんでいる。
神明前から日蔭町にかけては、もともと江戸屈指の繁華街であったが、
義陳が日記に江戸に来てから一番のにぎわいと記すように、
祭礼になると大変な人出になっていたことがうかがえる。


9月25日
屋形様(村候)は、人に会うために七つ時(午前4時)過ぎに出かけ、
五つ(午前8時)過ぎにお帰りになる。
御供は渡部源太夫、相原伊左衛門がつとめた。
私は西川弥五郎と一緒に昼から外出。
宇和島藩下屋敷に初めて行き、
それから金毘羅、目黒不動を参詣して、神明前に行ってから暮れ時に帰る。
そのうち二カ所でお酒を呑んだ。


義陳が初めて行った宇和島藩下屋敷は目黒にあった。
金毘羅は以前にも登場した
白金台にあった讃岐高松藩下屋敷内の式内社と思われる。
さらに目黒不動を参詣、神明前を経て帰ってきている。