三枚雪駄の土産

江戸勤番武士も読んだ草双紙。
ちょうど読みかけていた
中野三敏 江戸文化評判記―雅俗融和の世界 (中公新書)に、
甲子夜話』の著者として知られる平戸藩松浦静山
草双紙を集めていたという記述が見つかった。
部屋住み時代からの趣味らしく、
「此主伊吉」などの墨書があるものもあり、
これは静山の官途名の「壱岐守」を町人めかして「伊吉」と書いたため。
そして、これらの戯作類は一括して「草紙下品類」という分類名が与えられ、
隅の方にひっそりと置かれたという。
義信も手紙の中で、
「芝居のもの、芸者のもの、陰間野郎のもの、枕草子同様のもの、
 色事ばかりのしゃれたものもあり、たわいのないものが多いと聞きます」
とその下品さを強調しているが、
草双紙はそれだけ大衆的であったともいえるだろう。
ただ、江戸武士にとっての草双紙は、
スタンダードな教養を身につけるための書物から切り離して、
隅の方でこっそり楽しむものでもあっただろう。
もし藩士の家で、蔵書目録をつくったとしても、
表だっては記載されていないため、
あまり読んでいなかったとされがちである。


なお、先の義信の手紙には、
草双紙以外に、次男直次郎への土産として三枚雪駄というものが登場した。
この三枚雪駄を調べてみると、
日頃愛読している高尾善希氏の江戸時代の休み時間の中に
次のような資料が紹介されていることが分かった。
http://takaoyoshiki.cocolog-nifty.com/edojidai/2005/06/post_a0f4.html
それは武蔵国幡羅郡中奈良村(埼玉県熊谷市)の名主であった野中家文書にあるもので、
隠居の野中休意が記した天保8年「凶年知世補苦連」という資料。
その中の江戸の商品に飛びつく関東の農民を風刺した部分に三枚雪駄は登場する。
以下口語訳してみる。


田舎の奢りは、山でも里でも、
湯屋が建ったり、髪結所ができたり、
菓子や茶・煙草を江戸から取り寄せ、
日雇取までもが銀の煙管に、股引・脚絆も御鷹野仕様の江戸向きがよいと言って、
三枚雪駄を常に履くやら…


田舎が江戸の華美な風俗にさらされていることを嘆く内容であるが、
その一つとして三枚雪駄も記されているのである。
これは江戸周辺の関東農民の話しであるが、
江戸で長く暮らす勤番武士も、
関東農民と同様に江戸の風俗にさらされていたのである。
そしてさらに、
それは参勤交代を通じて留守を守る家族へと広がっていく。