錦絵の土産

普段、家では朝日新聞をとっているが、
今日新聞受けを開けてみると、間違って日本経済新聞が入っていた。
現在の日本経済への関心が皆無なので、悲しいことに、
折角新聞があっても読むところがほとんどないのだが、
文化面はさすが充実していて読み応えがあった。
このようにして偶然読んだ日経文化面の記事が、
収集した絵画を史料に江戸の子供文化を研究した
中城正堯氏の「浮世絵が描く母子の愛」。
中城氏はフランスのフィリップ・アリエスの研究に刺激を受け、
公文に子どもが描かれた浮世絵の収集を提案。
それが認められて公文には2300点ほどの浮世絵が収集され、
中城氏はそうした浮世絵の中から、
江戸時代の子どもがいかに大切に育てられていたのかを読み解いている。
その本筋の文章もいろいろと興味深いが、
瑣末なことが気になるたちの私には次のような文章に目がとまった。


高知県の私の生家には、
藩船の御船頭をしていた先祖が幕末に江戸で求めたと伝えられる
錦絵が襖に張られて残っていて、
子どものころから浮世絵には自然と興味をもった。


中城氏の祖先は藩船の船頭ということだが、
江戸勤番武士も、錦絵を土産に持ち帰るのはポピュラーだったのであろうか。
中城氏の文章を読んでいると、
三浦家文書の中にもこのことに関わる資料があったことを、
かすかに思い出した。
パソコンのデータを探してみると、
それは宇和島にいる三浦家8代当主義礼が江戸の弟義質に宛てた
嘉永4年10月20日付の手紙であることが分かった。
そこに江戸の義質からいろいろなものが送られてきたお礼が記されている。


元之助(義礼長男)と友喜代(儀礼孫)へ
何度も何よりの品を寄こしてもらい、特に元之助は大喜びです。
この間は山内又右衛門が江戸から帰り、
あなたが無事にやっていることを直接聞くことができて、
とても安心しました。
山内にあなたが頼んだおより(義礼長女)への笄と縫針も早速届き、
およりに渡したところそれぞれ心にかなったもののようで、
喜んでいました。
下の御旗の弁治も江戸から帰り、
早速来てくれてあなたが頼んだ錦絵と大根の種子を届けてくれました。
夏大根の種子についてはあなたの書付通りにします。


この手紙自体も江戸時代、
子どもがいかに大切に扱われていたかという中城氏の主張を裏付けるものでもあるが、
それはさておき、
実にいろいろなものが江戸からもたらされていたことがうかがえる。
その中に確かに江戸文化を象徴する錦絵も含まれていたのである。
参勤交代による江戸文化の地域への浸透を物語るものといえる。