三浦義信の馬術

義信が馬術に優れていたことを物語る資料として、
文政6年2月22日付の宇和島で留守を預かる妻の久美から、
江戸の義信に宛てた手紙がある。
この手紙は正月17日に出された義信の手紙を受け取って書かれたもので、
義信の手紙には御供中に起こった火事について記されていたようである。
久美の手紙からもその詳細な内容が分かるので、以下口語訳してみる。


正月12日には屋形様(村壽)が東禅寺に御仏詣なされ、
あなた様(義信)も騎馬供で出勤。
御仏詣が万事都合よく終わったところ、
折からの強い風の中、町屋から火事が起きたとのこと。
そして、屋形様はすぐに出発したが、
火が迫り、町中が大騒動、大混雑の危険な状態で、
あなた様らが注意しながら進み、
運よく江戸屋敷まで帰ってくることができたとのこと、
めでたいことと思います。
火事を通りぬけるまでのあなた様のお気持ちをお察し申し上げます。
広い場所にたくさんの人が集まると、どんな風になったことかと想像しましたが、
こちらでもだんだんその様子が分かり、大変なことだと思いました。
そのような困難な場所では、馬に未熟な人は心配がさらに増してしまいます。
しかし、あなた様は常日頃心がけられているので、しっかりしていて安心しました。
屋形様のお帰りがないので、一の手、二の手と江戸屋敷から差し出され、
御曹司様も御出馬されましたが、午後6時頃に無事に帰り着いたとのこと。
大分焼けたそうで、大騒動だったことと思います。
また、その夜にも火事があったなんて、なんと頻繁に火事が起こることでしょう、
これから先どうぞこんなに頻繁に火事が起こらないようにと思っています。
そして、このような大騒動をお聞きすると、とてもこわくなります。


殿様の東禅寺への御墓参りに御供として出た義信。
御墓参りが終わり、帰ろうとしたところで火事に遭遇する。
火が迫り、大群衆で騒然とするなか、
冷静に騎馬を操り殿様を安全な道に誘導しようとする
義信の姿が浮かぶような文章である。
このような騒然とした中、馬を操る技術。
これも日頃の鍛錬の中で可能となったものと思われる。
勤番武士には、
仕事以外にも馬場に出ての鍛錬もあったわけで、
江戸で消費生活を楽しむだけの武士像は一面的ともいえる。