お供のスキル

前回まで
宇和島藩主伊達藩主村候と佐賀藩鍋嶋家の護姫の結婚前後の
三浦義陳の仕事振りを見てみたが、
この時期の義陳は通常の仕事以外にも、
いろいろな家に使者に出たり、
村候の御供をしたりと、
かなり多忙な日々を過ごしていたことが分かる。
別に江戸勤番武士の代弁をするわけでもないが、
勤番武士は我々が思っている以上に忙しかったのである。
例えば御供なんかも一見たいした仕事でないように見えるが、
以前みたように油断すると大変な怪我をすることもあるし、
そもそも御供するにもちゃんとしたスキルが必要だったのである。
そのことが分かる資料を今回は紹介しよう。
それは、三浦家7代目の義信が隠居後、
五男で後に9代目の当主となる義質に書いた手紙である。
嘉永4年8月10日付で、この時義信は宇和島で、
義質は江戸詰めで忙しい日々を送っている。
この手紙の中に一つのスキルが話題に上っている。
以下、手紙の口語訳。


馬場に出席するように前の手紙で言いましたが、
その返答として詳しく書いてきたこと、
仕方がないことと思います。
武芸はどうということもありませんが、
馬は真剣に取り組むものです。
私は馬が好きだったので、騎馬で御供をする時にも安心でした。
あなたがこれから先騎馬で御供する時に、
私が言ったことが思い当たると思います。
もし馬場に出席できないようなら、
心のなかで馬に乗るようにして下さい。
そして、私が渡した書物を絶えず開いて見るように心がけなさい。
私は御小姓頭、御目付を勤めていた時には、
馬術が未熟な藩士たちはみんなとても心配でたまらないと話していました。


騎馬で御供するには、かなり馬をのりこなす技術が必要だったはず。
義信は馬術に自信満々のようだが、実際のところどうだったのか。
義信の名誉のためにも、
次回には義信のスキルの高さを物語る資料を紹介する。