三浦義陳の江戸暮らし4

ここにもう一つ江戸勤番武士についての興味深い研究がある。
岩淵令治氏の「八戸藩江戸勤番武士の購買行動と国元」
歴史と風土―南部の地域形成所収、雄山閣、2004年)である。
この論文は、宇和島藩邸にもほど近い
麻布の八戸藩邸で勤番した八戸藩士遠山屯の日記と小遣帳を分析したもので、
その中で文政11(1828)年5月から翌年4月までの遠山の勤務の様相が明らかにされている。
それによると、遠山の勤務の基本サイクルは、
休日(非番)−夜間・午前勤務(早泊・早番)−午後勤務(跡番)となり、
日数としてはそれぞれ、休日78日、夜間・午前勤務109日、午後勤務87日になるという。
さらに帰国前の全員勤務や人手不足のための臨時勤務がそれに加わる。
このデータから考えると遠山の場合、
勤務が少なくヒマでしょうがない酒井伴四郎よりも
それなりに忙しい三浦義陳の仕事ぶりに近い印象を受ける。
現在の江戸勤番武士像は、
酒井伴四郎日記に基づいてつくられすぎているのではなかろうか。
細かい行動まで書き記した酒井の日記の魅力は分かるが、
岩淵氏が指摘するように、
もう少し条件の異なる藩士を比較検討するなかで、
その実態を明らかにしていくことが必要となる。


ちなみに、
酒井伴四郎は30石(衣紋方)、三浦義陳は70石(小姓役)、遠山屯は100石(納戸役)である。