三浦義陳の江戸暮らし3

ところで、
江戸勤番武士の生活を物語る有名な資料として、
和歌山藩の下級武士酒井伴四郎が記した万延元(1860)年の日記があげられる。
酒井伴四郎の仕事は、
藩主の装束の着用などをつかさどる衣紋方であった。
伴四郎には、江戸において衣紋稽古を中心とした勤務があったが、
伴四郎の江戸日記を分析した
島村妙子氏の「幕末下級武士の生活の実態」(『史苑』32巻第2号、1972年)によると、
伴四郎の「勤務は毎日ではなく、八月は三日おき、九月は六日おき」で、
「しかも午前中四時間の半日勤務であった」という。
つまり、「酒井の江戸詰勤務は非常に閑散としたものであった」ことになる。
一方、伴四郎は寺社参詣やその帰りに飲食店や茶屋に入ることを楽しみとして、
三味線の稽古を始めたり、芝居や寄席に通ったりと、
消費都市江戸での暮らしを満喫している様子も明らかにされている。
仕事に忙しくヒマをあまりもてない三浦義陳、
ほとんど仕事がなく余暇の江戸生活を楽しむ酒井伴四郎
どちらの江戸勤番武士の姿がより事実に近いのであろうか。