三浦義陳の江戸暮らし2

宇和島藩士三浦義陳の当時の仕事は小姓役、
藩主伊達村候の近くにおり、様々な雑務や日常生活に必要な取次などを行っていた。
義陳の江戸日記、
寛延三庚午四月八日ヨリ極月廿八日迄日記」を繙くと、
当番・受取番・代り番・寝番・廻番などの文字がよくでてくる。
これは義陳になんらかの仕事があった日と思われる。
日記をトータルすると257日間あることになるが、
そのうち104日はなんらかの番が入っている。
一方はっきりと非番と記されているのは31日に過ぎない。
ちなみに、寛延3年5月の一カ月分で拾ってみると、
12日間の番がある日を拾い出すことができる。
番の日以外にも、江戸城への登城をはじめ、
他の大名家への訪問、寺社参詣の際などに、
藩主村候のお供をしたり、
様々な場所に使者に立てられることもあるので、
義陳の江戸暮らしはそれなりに忙しそうに見える。
そして、9月23日になると、
藩主村候と佐賀藩鍋嶋家のお姫様護姫との婚礼にあたり、
御貝桶添役という仕事が新たに割り振られ、
その儀式のリハーサルや、付き合いのある大名家に何度も使者として渡り歩くなど、
さらに忙しさが増していく。
役職によるかもしれないが、
江戸藩邸で中核になる武士は
思っている以上に忙しかったといえそうである。