さて、1月18日のブログに、
三浦家文書の書簡の中から
寛延3年6月当時の三浦家の屋敷には、
菜園が付属しており、なすび、いも、人参などが育ち、
花壇に夏菊など色とりどりの花が咲いていたことを記しました。
実にあざやな菜園のイメージがうかびます。
しかし、その翌年2月1日の夜、宇和島は炎につつまれます。
桜田伊勢の屋敷から出火した火はまたたく間に広がり、
次々と近隣の武家屋敷を焼いていき、
やがて炎は三浦家にも迫ります。