国史大辞典を予約した人々

佐滝剛弘国史大辞典を予約した人々』を読了。

歴史に関する調べものに重宝する『国史大辞典』。現在全17巻の『国史大事典』の前身に当たる初版が、2380ページの本編と挿絵及び年表の二冊組みで、明治40(1907)年に刊行されていることは全く知らなかった。著者は、群馬県藤岡市の老舗旅館でたまたま手にした『国史大辞典予約芳名録』をもとに、この辞典を予約購入した人物を調べあげていく。辞典の当時の定価は20円で、予約購入をすると8〜10円。著者の換算によると、20円は現在の20〜25万円に当たるというので、とても高価な辞典であったことがわかる。ちなみに現在の『国史大辞典』17冊の定価は29万7千円+税。図書館や大学、歴史の研究機関には必ず入っている辞典であるが、現在でも個人でもっているという人は少ないのではないかしら。

芳名録に載る人物は実に多彩。与謝野晶子長塚節といった文学者から、徳川、毛利、島津、伊達、黒田、井伊などの旧大名系の華族、正親町、徳大寺、西園寺など旧公家系の華族。このあたりはいかにも購入しそうなメンバーであるが、天文学者・建築家・動物学者・鉄道技師など、理系の人々の名前も連なっている。著者はそこに「当時の学問を志した人々のベイシックな素養の広さ」を見出している。

もちろん、学校やそこで教える教師たちも多く名を連ねており、現在の難関大学である帝国大学系、地方大学である師範学校、私立大学、旧制中学の名前も揃っている。そんな中、ちょっと感動的なのが、熊本県阿蘇郡の欄にある「宮地裁縫女学校」。地元の自治体誌を調べると、その裁縫学校は神山エツという女性による1902年に創立であることがわかったという。さらに、著者はインターネットを検索すると、その裁縫学校をそのまま使ったその名も「ETU」という雑貨とカフェの店を発見する。裁縫学校は1977年まで存続、設立当時の校舎や使い込まれた教育用具などが、今も阿蘇山の伏流水を利用したカフェとして遺っているそうである。これはぜひ一度行ってみたい場所である(http://www.ozmall.co.jp/trip/jikan/050/)。

裁縫学校の設立当初の生徒はわずか8人。それでもエツは裁縫の賃仕事で稼ぎ、私財をつぎこんで各地から国語や歴史の教師に来てもらい、授業をしてもらっていたという。経営の苦しい学校で、大金のかかる国史大事典の購入は大変だっただろうに、これを決断していることに、一人の女性の気概が感じられる

また、予約芳名録には、地方の書店の名前も多く登場するそうである。煥乎堂書店(前橋市)、宮脇開益堂(現在宮脇書店香川県高松市)、今井書店米子市)、金文堂久留米市)などなど。地方書店を通じて取り寄せた人や機関も多かったのだろう。地域の文化の中心に書店がしっかりと根付いていたことが見て取れるのである。現在、地方の老舗書店の経営も厳しく、廃業に追い込まれることも少なくないと聞く。住んでいる町に書店がないというのでは、なんとも淋しい。

この本を読んでいると、いろいろな地域に書店があり、深い教養を得るために、大金はたいてでも国史大事典を買おうとしていた人々が確かに生きていたことがわかる。そんな明治40年と、本がなかなか売れないという現在、どちらの方が文化度が高いのか、つい考えてしまう。