佐田岬の変化

11時半からNHKの新日本紀行再び「岬の日々 海に誓う〜愛媛県佐田岬半島〜」を見る。新日本紀行佐田岬半島が取り上げられたのが昭和43年。その時の映像と、さらに40年以上たった現在の映像とで、佐田岬の暮らしの変化が紹介される。以下はメモ書き。

佐田岬は岬十三里といわれている。
急斜面にはりつくように集落が点在。
岬の集落を結ぶ定期船が生活の足。
子どもの町へお使いにも使っている。
バスが通うようになったが、バスより安く、乗り心地がよい。
昭和43年当時の大久地区(伊方町大久)。
みかんの栽培と肉牛の飼育が盛ん。
厳しい風土で牛とともに生きる人々。
大久では三崎牛といわれ、肉牛として知られる。
250〜300キロになると売り出す。
熱くなると、扇風機を牛小屋にもちこむ。
夕方になると砂浜に夕涼み。
牛が食べる草を刈りに行くのは子どもの仕事。
裏山にショイコを担いで、草を刈りに行くのが日課
牛市は月1回開かれ、多くの人が集まりにぎわっていた。
テレビ放映から9年後に、原子力発電所ができる。
整備された国道が通ることになり、若者流出、過疎化。
牛肉価格の低迷により、牛を飼う人はいなくなった。


佐田岬は男性のアマである海士(あまし)がもぐる漁が盛ん。
潮の流れがはやいため男がもぐる。
10キロの錘で水深20メートルまでもぐり、アワビやサザエなどをとる。
都会暮らしをやめ、故郷に戻る若者もおり、
現在も90名がもぐり漁を続けている。


昭和43年はちょうど生活が大きく変わる分岐点のような年。テレビ放映の後に生活が大きく変わっていったのだろう。変化に焦点を当てた番組なので仕方ないが、願わくばもう少し昭和43年の映像をじっくり見たかった。