武士のソロバン

加藤秀俊前田愛 明治メディア考 を読んでいる。
この本は1979年と翌年に行われた二人の対談をもとに編集されたもので、その後中央公論社から単行文、文庫本として刊行されたが、長らく絶版。それがこの度河出書房新社から新装復刊されました。
その中にこんな一文を発見。昨日大河ドラマ龍馬伝で商売がうまくいかない岩崎弥太郎を見たばかりだったので、早速メモ。

加藤 侍というものは徳川時代にだんだん文民化していきます。たとえば伊賀の藤堂家で、織物産業をおこしマーケティングを担当したのも侍でした。どこの藩でも戦国武士の時代は終って、徳川幕藩体制のなかでは、ソロバンができて商取引ができることが栄達の道であり、侍のつとめにもなっていったわけですね。だから士族の商法といっても、剣をソロバンに持ちかえたように見えるけれども、事実はソロバンの達人であった士族も数多くいたはずです。三菱財閥をつくる岩崎弥太郎だって土佐藩の士族でしょう。カレがはやくから商売の道に突入していけた背景には、少なくとも徳川の終り百年間に蓄積された商業的才能というものがあるはずです。

明治に入り、ソロバンにうとかった武士は、馴れない商売に手を出し失敗して没落していく。そのように一般的にはとらえられていますが、そんな単純なものでなかったということになります。引用部分は、何かソロバンをもち、江戸から明治を渡り歩く武士の存在、磯田道史氏の武士の家計簿 ―「加賀藩御算用者」の幕末維新 (新潮新書)を先取りして言っているようで興味深いところです。
そういえばその磯田氏は、古地図で巡る龍馬の旅―NHK直伝和の極意 (趣味工房シリーズ NHK直伝和の極意)の中で江戸後期の藩が商品流通に深く関わらざるをえなくなったことを前提として、龍馬について次のように書いています。

 そういう藩には、龍馬のような存在が入り込む余地があり、海援隊を結成して土佐藩の物品や武器を運ぶといった仕事を、藩から請け負うことができたわけです。つまり、産物まわしをやってきた土佐藩の中から、龍馬という人物が生まれてきたのは偶然ではありません。
 龍馬は実家が豪商でしたから、武士に対して不必要に怯まず、商取引や金銭への忌避感がかなかったのでしょう。そのため、商品流通を元に富国強兵を図っていく海援隊のような組織を作ることができたのだと思います。