大正時代、小学生の読書

いろいろな人の自伝を読むのが好きだが、
読んでいて、
その人がどのくらいの年齢でどのような本を読んでいたのかが、
特に気にかかる。
今日読んでいた藤沢桓夫大阪自叙伝 (1974年)にも、
自らが小学生上級生だったころの読書の記述があった。


立川文庫」「武士道文庫」などの小型講談本が出て、
それが少年間でも大流行の形で読まれたのは、
私の小学生上級生のころで、
私なども三百頁くらいある
「猿飛佐助」「岩見重太郎」その他の数十冊を
手当たり次第に、平均日に一冊は読み上げたが、
その程度のスピードが可能だったのは、
当時の子供が漢字をよく知っていたというより、
先にも触れた通り、
当時は新聞娯楽面をはじめ、
講談本や雑誌などは総ルビ(振り仮名)付きだったので、
そのため初対面の漢字が出て来ても、
誰でもすらすら読めたのが大きかったと思う。


明治37(1904)年生まれの藤沢桓夫の話しなので、
大正初め頃のことと考えられる。
藤沢はその後で、
これら講談本を人力車夫が音読していた記憶も書き留めている。
定価が1冊25銭だったが、本屋は18銭で売ってくれ、
すぐに本を読んでもっていくと、
3銭から5銭で別の1冊に替えてくれたらしい。
当時は本屋といいながらも
貸本屋のような機能もあったのだろう。