宇和島藩江戸屋敷の人数

大名家の江戸屋敷には何人住んでいたのか、
素朴な質問だが、案外答えるのが難しい。
宇和島藩士の三浦家の江戸暮らしについて、
いろいろ書いてみたが、
そもそもその江戸屋敷にいた人数は、
三浦家の史料からは全く窺い知ることができなかった。
ところが、
宇和島藩伊達家文書には、
元禄4(1691)年から慶応3(1687)年まで、
断続的ながら50年分の「切支丹御人数改人数目録」という史料があり、
身分階層別の人口を知ることができるそうである。
しかも、運のいいことに、
藩主以外の男女の人口が
国許と江戸屋敷・大坂屋敷に分けて集計されているので、
江戸屋敷にいた人数をある程度つかむことができる。
この史料を分析した論文に、
安澤秀一氏の「江戸屋敷人数・江戸屋敷費用および参勤交代費用」
(『学際』6号、2002年)があるが、
この論文をもとに宇和島藩江戸屋敷の人数を紹介すると、
以下の通りになる。


江戸屋敷人数は、
明和8(1771)年から享和3(1803)年にかけては、
単純平均で881名。
安政6年(1859)以降に1000人を超えるが、
文久の改革で参勤交代が緩和され、
政治の舞台が京都へと移ると、
急速に人を減らして、
文久2年以降の単純平均は647人となる。
大坂屋敷のデータを含みつつも、
宇和島藩の江戸の5つの屋敷8万坪の中に、
これぐらいの人数が暮らしていたことが分かるのである。


また、江戸屋敷の身分階層別人数を見ると、
組付支配(御徒以下=扶持米取:下士・軽輩)が最も多く、
400〜500人程度。
帳面改分(侍中=知行取:上士・中士)が、
200〜300人程度。
屋敷奉公人が100〜200人。
別紙改分(藩主血縁者)と部屋付(藩主子女・側室付女性)が、
それぞれ20〜50人程度。
一部大坂屋敷のデータを含みつつも、
江戸屋敷の身分構成別の人数もある程度は分かるのである。


ちなみに、
江戸時代の人口の推計として、関山直太郎氏の説があるが、
そこでは江戸の総人口を110万人として、
大名と家臣が18万人、大名と家臣の奉公人が10万人と推計されている。