陽明学つながり

「官府御沙汰略記」は江戸小石川に住んでいた
幕臣小野直方の日記。
氏家幹人氏の江戸の病 (講談社選書メチエ)によれば、
この日記に伊予大洲藩のことが登場している。


例えば、
明和6(1769)年に大洲藩8代藩主加藤泰行が
脚気腫満」で死亡したという記事。
ちなみに、
脚気はビタミンB1不足が原因の疾病で、
ビタミンB1を含まない白米が普及した
江戸で多く発症したため「江戸煩」といわれたとのこと。
確か将軍徳川家茂の死因でもあったような。


ところで、
なぜ小野直方は大洲藩のことをいろいろ知っていたのか?
実は直方は著名な陽明学者三輪執斎の門人で、
自宅で旗本の師弟に四書の素読を教えたほか、
大洲藩邸でも講義を行っていたとのこと。
大洲藩は代々陽明学を支持した家柄。
直方は陽明学を通じて大洲藩と関わりのある人物なのでした。