半井梧菴の遠西写真全書

伊予史談会文庫の伊予人物伝資料から
半井梧菴の資料を前回示したが、
この資料は、
昭和7(1932)年に今治大須岐神社で開催された
半井梧菴翁遺墨展覧会の模様を報じたものである。
そこには、半井梧菴の著述として、
次のようなものが展示されたことが記されている。


翁の筆に係る漢詩、和歌、絵画等数十幅、また屏風もあり、著述もあった。
著述の書物は月瀬紀行、西行日記、七社詣の記、遠西写真全書、花の家苞、窓の雪草、
教会をしく歌、夏目棹小船記、勤仕明細書、学問の大綱、三の鎖、ひなの手振、同二編、
歌学類選、続歌学類選、刻醫心悟序、古事記傳略等で、
愛媛面影の版木の陳列もあった。


伊予の代表的地誌『愛媛面影』は、
明治2(1869)年頃に初版が刊行され
その後昭和4年まで何度か版を重ねているが、
昭和7年に版木が現存していたことを確認することができる。
その他、
展示された梧菴の著作は、
ひなの手振、歌学類選などの有名なものもあるが、
展覧会後に所在不明となり、
現在内容を確認できないものも多く含まれている。
ところで、
展示された著作の中でも、
注目されるのが遠西写真全書である。
半井梧菴の手許にあったと思われる
この本も現在確認できないが、
思わぬところでこの本のことが紹介されている。
それは飯沢耕太郎氏の日本写真史を歩く (ちくま学芸文庫)である。
日本写真史のダ・ヴィンチと称される
横山松三郎の資料に遠西写真全書があったことが紹介されている。


(横山松三郎資料)のなかでも特に面白いのは
「遠西写真術書草稿 大日本開成院 仏蘭西学教授 林正十郎訳解 製薬局学生半井梧菴筆記」
と最初に記された原稿の写しであろう。
…(中略)…
のちの東京帝国大学の前身、
開成所のフランス学教授だった林正十郎が、
ダゲレオタイプの技法と発明の経緯について書かれた文書を訳したものである。
これまで知られていた川本幸民や杉田玄瑞のほかにも、
ダゲレオタイプを日本に紹介した人物がいたことも重要だが、
何よりも横山が写真術の起源に強い関心を示していたことが興味深い。


これは遺墨展覧会で梧菴の著作とされている
遠西写真全書の写本と考えてよいだろう。
この記述によると、
開成所でフランス学の教授であった林正十郎が翻訳したものを、
半井梧菴が筆記したものが遠西写真全書であり、
純然たる梧菴の著作とはいえないが、
梧菴の関わった本は写本として横山に渡り、
日本写真史の草創期に少なからぬ影響を与えていたということになる。