津山藩江戸屋敷の門限

津山郷土博物館発行の図録
津山藩江戸屋敷』(2001年刊)を読んでいたら、
尾島治氏の解説に、鍛冶橋にあった津山藩江戸上屋敷の門限の記述がありました。


それによると、
津山藩上屋敷の門限は暮れ六ツ時(午後6時)。
これは『鳴雪自叙伝』に記された松山藩の門限とも共通していますので、
おそらくどの藩も暮れ六ツが門限だったものと考えられます。
ここまではよいのですが、尾島氏はこれに続けて、
実際には午後9時頃に六ツ時の拍子木を打って廻ったと記しています。
午後9時に午後6時に拍子木を打つなんて、これまた掟破りな江戸時間の在り方。
津山藩士は外出の用向きを済ませた後、
両国あたりで夕食と軽い晩酌をして、
明かりが灯る頃になっても、
少し足早に帰れば拍子木の時刻までに間に合ったというのです。
他の藩では拍子木打ちの仲間に賄賂を渡したり、
妨害したりして門限を延ばしていたことは以前にも記しましたが、
そもそも午後9時に六ツ時の拍子木を打つのは、
何かそうした実情にあわせて生み出されたルールといった感もします。
それにしても、フレッキシブルな江戸時間には脱帽です。