ロシア船での食事

二の重さんから教えてもらった
川路聖謨の長崎日記、早速見てみました。
平凡社東洋文庫の下田日記とセットで1冊になっている分です。
川路は嘉永6(1853)年のプチャーチンの長崎来航にともない、
その応接掛を命じられ、長崎に赴きます。
川路は12月8日に長崎に到着し、
12月17日にロシアのフレガット蒸気船に乗り込みます。
船は三階立になっていて、上は日本でいう玄関前、
下の階は奥向きのようになっていると川路は記しています。
川路一行はロシア人たちに歓迎され、
武器を貯えたところや、その他もいろいろと見たとありますので、
先に紹介した絵巻は、あるいはこの時の様子を描いたものかもしれません。


そして、15畳ほどもある「提督応接室」で宴会が始まります。
酒はフランスの葡萄酒。
多く飲んでも酔少し。すぐに醒めるとあります。
葡萄酒は以外には泡盛にも似た燗酒も出されています。
鶏の出しをかけた鯛を肴の出しで食べる(スープ?)
牛・羊・鶏・玉子の類。
牛や鶏などは、絵巻にもあったように生きたまま船に乗せられていたのでしょう。
野菜の酢の物。
菓子はカステラの類、葛もち、うどん粉で作ったものなど。
器は瀬戸物(オランダ焼の皿のようなもの)とギヤマン
また、食事の時に、
白い唐草模様が付いた風呂敷のようなものを渡されて、
食べこぼしを防ぐ膝掛けとするとあるのは現在のナプキン。
親しみとて、盃と盃を摺合わせて、それを飲むともあります。
これはもちろん乾杯ですね。


普段は淡泊な日本料理ばかり食べていた
川路の舌には、こうした西洋料理はどのように感じられたのでしょうか。