明治4年の戸籍改

三浦義質が東京の息子に宛てた明治4年の手紙を見てきましたが、
三浦家文書には同じ年の戸籍改が残っています。
明治維新と江戸武士1にあった戸籍改とは、まさしくこの資料のことを指します。


戸籍改にはまず三浦家の家禄が50俵であることが記され、
以後三浦家の人々の生年などが記されています。
忘れないように以下にメモしておきます。

父  三浦義禮(ヨシミチ)
    享和2年6月11日誕生
    元治元年5月7日隠居
母  三浦仲         
    文化7年5月29日誕生
    嘉永2年5月16日佐藤氏ヨリ来
当主 三浦静馬義質(ヨシカタ)
    文政4年9月22日誕生
    天保12年9月7日養子
    元治元年5月7日家督相続
妻  三浦登瀬
    天保2年7月25日誕生
    嘉永2年5月1日加藤氏ヨリ娶
嫡子 三浦肇義方(ヨシノリ)
    嘉永6年3月27日誕生
次男 三浦延次郎
    文久2年2月7日誕生

義禮が父となっていますが、これは名義上のことで、
実際には義質にとって年が離れた兄になります。
義禮は最初の妻とは死別しており、仲が後妻として迎えられています。
明治4年時のぞれぞれの年齢を数え年と記しておくと、
義禮70歳、仲62歳、義質51歳、登瀬41歳、肇19歳、延次郎10歳。
つまり、明治という新しい時代となり、
わずか19歳の肇に三浦家の未来が委ねられたことになります。