日本最初の夫婦写真?

前回は明治3年に撮影された写真のことを取り上げましたが、
さらに古い宇和島藩士の写真としては、
葛西辰三を撮影した湿板写真があります。
蓋表には「慶応四戊辰七月京都ヨリ東国江出張之節写」と墨書され、
さらに蓋裏に「浪花心斎橋写真師中川信輔」の焼き印があります。
戊辰戦争の際、西国各藩の兵士が大坂や京都で、
写真をよく撮影したといわれますが、葛西のものもそうした一枚といえます。


ところで、
宇和島藩関係ではもう一人、大坂で写真を撮影した人物がいます。
シーボルトの最後の門人で、
優れた語学と西洋についての深い知識により
宇和島藩に出仕することになった三瀬諸淵(周三)がその人です。
諸淵は明治2〜3年頃に
坂本町橋西誥の中村雅朝や心斎橋の中川信輔のもとで、
写真を撮っています。
ただ、その写真でちょっと珍しいと思うこと。
それは諸淵が妻高子と二人並んで写真を撮ってもらっていることです。
諸淵とシーボルトの孫高子の組み合わせ。
二人はポーズを変えながら、5種類の夫婦写真を遺しています。
日本の草創期の写真を扱ったいろいろの本を見ても、
管見の限り、この二人の写真以外に同時期の夫婦写真は見つかりません。
私は二人の写真を日本最初の夫婦写真ではないかと睨んでいるのですが、
どうなんでしょう?

なお、二人の写真は以下のhpに掲載されています。
http://www.museum.osaka-u.ac.jp/jp/event_content/encaenia-2003-panel/18/18.html