妻の切ない心遣い

三浦家は、義陳が江戸で勤番中の
寛延4年2月1日の夜の宇和島大火で、不運にも屋敷を焼いてしまう。
それから約3カ月後、
江戸での勤番を終えて宇和島に戻る義陳に宛てた、
妻の幸の手紙が遺っている。
4月25日付で、宇和島藩の大坂屋敷に宛てて出されたものと思われる
その手紙の内容を紹介すると、以下の通りである。


飛脚が出発することになったので、手紙で申し上げます。
まずは屋形様が御機嫌よく御道中なさっているとのこと、
大変めでたくお喜び申し上げます。
近いうちに大坂にお着きになることと話しているところです。
そのうちこちらにも御機嫌よくお着きになることと、
御両親様はじめいずれも喜んでいるところです。
購入して欲しい物について、
大坂まで手紙に書いたと聞きましたが、
そのうち御両親様はじめ、
私と子ども二人分の膳椀については兄からもらうことになりました。
でも、豊八郎とおゆふの椀がとても太いもので、
あなたの椀は未だ購入できていません。
そこで、小ぶりのものを購入していただき、
豊八郎とおゆふの椀と取り替えてもらうといいのですが。
既に買ってしまったというのなら、それでも構わないですが。
このことを手紙に書くようにとのことなので、手紙にて申し上げます。
いずれにしても後のことは、こちらにお着きになってから、
ゆっくりとお話ししたいと思っています。


火事で家財道具のほとんどが焼けてしまった三浦家。
さしあたりの膳椀は幸の実家、徳弘家から分けてもらったものの、
不在であった義陳の分まではない。
徳弘家からの子どもの椀は大ぶりだったので、
そこで幸は機転をきかせて、
義陳に大坂で小ぶりの子ども用の椀を買ってもらい、
現在子どもが使っている椀を義陳に使わせようと手紙を書いている。
火事で家計が厳しい
三浦家の妻としての切ない心遣いともいえる