三浦義陳の外出(まとめ)

宇和島藩士三浦義陳が記した
寛延3年4月8日〜12月28日の日記から、
江戸勤番中に外出した回数を拾うと、
先に書いたようにわずか16日を数えるのみである。


少ない外出のなか、義陳は
浅草観音目黒不動増上寺泉岳寺神田明神、芝神明社
など寺社参詣を中心に、できるだけ江戸の名所めぐりをしている。
それも泉岳寺は開帳、芝神明社は祭礼といった具合に、
何か行われている時に出かけようとしていたのではないかと思われる。
また、義陳は江戸の芝居の中心である堺町の中村座に入り、
中村勘三郎芝居を見物している。
時代は下るが、松山藩士の家に生まれた内藤鳴雪も、
父の江戸常府時代に、猿若二丁目の河原崎座へ芝居見物に行っている。
大芝居の見物は父の大奮発で、容易なことではなかったと鳴雪は記しているが、
生涯の江戸勤番の中で一度は行ってみたいところだったのかもしれない。


義陳がわずかの外出のなか、頻繁に出かけているのは、
宇和島藩上屋敷のあった麻布からほど近い神明前(5日間)、日影町(3日間)である。
神前前も日影町もひとつづきの繁華街で、
飲食店のほかに錦絵・草双紙・小間物・手遊物などを売る店が多かったという。
義陳もこのエリアで歯磨き、書物、袴の古着、小刀の小柄、印籠、根付などを購入し、
茶屋にあがり飲食することもあった。


三浦義陳のわずか9カ月間の日記でも、
勤番武士の生活の輪郭は浮かび上がってきたが、
勤番武士の生活をより詳細に追跡した研究として、
岩淵令治氏「八戸藩江戸勤番武士の日常と行動」
(『国立歴史民俗博物館研究報告』第138集、2007年)があげられる。
岩淵氏の研究は、
八戸藩の上級藩士遠山家の江戸日記10年分を素材に、
勤務も含めた日常生活の中でその行動を検討したもの。
しかも、遠山家には日記だけでなく小遣帳もあり、
江戸での消費の様子も分かるという優れものの資料である。
岩淵氏はこの膨大なデータを駆使して、
勤番武士の生活を緻密に描き出していく。
ちなみに、遠山家が住んでいたのは、
麻布市兵衛町八戸藩上屋敷の長屋で、
三浦義陳がいた麻布龍土町宇和島藩上屋敷とは1キロも離れていない。
つまり、お互いに同じ生活圏を有していたともいえる。
この遠山家が最も足を運んでいるのが、
神明前(83回)、日影町(27回)のエリアである。
三浦義陳の行動とも全く符合しており、興味深い。
岩淵氏は遠山家の生活圏について、
銭湯や髪結いなどがある上屋敷近辺の町のほか、
愛宕下、芝神明、日影町といった市、
さらには大店が存在し、また観劇の場、日常的な信仰対象があったとまとめられているが、
これまで見てきたように義陳の生活圏についても、
このまとめと共通する部分が大きい。