三浦義陳の外出4

三浦義陳の外出についてのつづき。
今回は9月の4回の外出のうち前半2回分。


9月7日
非番。
御先弓の与左衛門を召し連れて外出。
恵美須屋に行き、晒二疋、染帷子二つを注文し、中立小立三反購入する。
そのうち晒一疋については、京都に送り染め直しするように手代の嘉兵衛に頼む。
10月の末には出来上がってくるとのこと。
購入した品の代金は2両と5匁3分。染め代も含まれている。
代金のうち2両は支払い、5匁3分は支払わなかった。
恵美須屋では酒肴が出された。
日影町で小刀の小柄一つ購入。代8匁。
神明前で奈良茶飯を食べて、御屋敷に帰った。
午後4時頃から大雨がしばらく降り、それから小雨になったので、
唐傘を借りて帰った。


恵美須屋は4月23日にもあったように尾張町にあった呉服店
恵美須屋で晒を買い、それを京都で染め直すような注文ができたことが注目される。
日蔭町は神明前につづく繁華街で、古着屋が多かったのは以前も取り上げたとおり。
神明前も日蔭町もいろいろな種類の小間物が売られており、
勤番武士の利用頻度は高かったものと思われる。


9月13日
屋形様(伊達村候)は、
松平薩摩守様(鹿児島藩主島津重年)のもとに外出された。
以前に御案内のあった家督相続祝の御能興行が行われるためである。
御供は相原伊左衛門と我妻弥五左衛門がつとめた。
義陳はこの日薩摩守様への使者をつとめ、鮮鯛二枚を進上した。
午前6時頃に行き使者としての仕事を果たし、
薩摩守様門前の辻番辺りで、御屋形様がいらっしゃるのをお待ちして、
薩摩守様の御返答を大和田主殿へ申し達した。
それから私用願を前夜に松根備後に断っておいたので、
くす屋市兵衛方に行って着替え、酒を呑んでから、
すぐに堺町に赴き、中村勘三郎芝居の忠臣蔵狂言を午前10時頃から見物した。
芝居が終わらないまま午後7時頃に御屋敷に戻った。


鹿児島藩島津家の上屋敷は芝新馬場。
島津家への使者を勤めた後、プライベートタイムとなり、
義陳は芝居町である堺町の中村座に芝居を観に行っている。
くす屋市兵衛方で着替えたり、お酒を呑んだりしたとあるが、
これはおそらく芝居茶屋であろう。
芝居茶屋は芝居小屋に周囲に建っていて、
観客のために木戸札を予約したり、飲食の世話などをしていた。
明和年間の中村座には、大茶屋が16軒と小茶屋が15軒あって、
大変な繁盛だったという。
芝居小屋で観劇の準備した義陳は中村座に入り、
中村勘三郎芝居の忠臣蔵狂言を観ている。
義陳のように芝居茶屋を通して入るのは上級の客で、
一般客が土間だったのに対して、桟敷に通されたものと想像される。
芝居は大概朝6時頃には始まったので、義陳は途中から観始めたものと思われる。
終わる時間は午後5〜7時頃だったので、
御屋敷の門限がある義陳は最後まで観ることができず中座している。
いつも取り上げる『鳴雪自叙伝』にも芝居見物の様子が紹介されているが、
大芝居はそんなに何度も観に行けるものでなかったと記されている。
義陳は芝居について何ら感想を記していないが、
江戸を満喫したぜいたくな一時であったことには違いない。