三浦義陳の外出3

今回は義陳の文章が少し長いので、8月22日の外出のみを紹介する。


8月22日
松平薩摩守様(鹿児島藩主島津重年)への使者を命じられる。
昼時過ぎに御屋敷を出る。
薩摩守様からは、来月13日に家督相続祝いとして能を行うにあたり、
先般屋形様(伊達村候)に午前8時頃にお出でいただきたいという
使者によるご案内があったが、
その時屋形様が外出中でお答えできなかったため、
その挨拶の使者として行く。
そのついでに私用も済ませたいと断って、
神明辺りに行き、いろいろと購入する。
雑書上下物二冊、誹諧糸衣一冊。この二つで代160文。
若木詩一冊、代80文。
茶打表付袴、古物、代金2歩。
これは小判で払い、歩判二切を受け取る。
これらを購入して後、切通し辺りで酒を呑み、
午後6時頃に御屋敷に戻る。
帰りがけに江戸詰めになり、
今日江戸に到着した武田惣左衛門に挨拶に行き、
喜内(義陳弟)や家族からの手紙を受け取る。
惣左衛門と同宿の井関作十郎のもとに、
相原猪左衛門と申し合わせて酒1升を送る。


義陳は神明前で買い物をすることが多いが、これは芝神明社前のことを指す。
神明社の境内は芝居や相撲興行などが行われるほか、
神明前は江戸で知られた盛り場でもあった。
とりわけ小間物屋と絵草紙屋が多く、
江戸土産を買い求める勤番武士の姿が多かったというが、
義陳もこの日まさしく書物や古物の袴などを購入している。
切通しは愛宕山から南の坂道。
ここも神明前と同様ににぎやかな通りであったが、
内藤鳴雪鳴雪自叙伝 (岩波文庫)切通しについて次のように記している。


その頃は、今の芝の公園と愛宕の山の界(さかい)を『切通し』といった。
ここは昼の見世物や飲食店が出て、夕方には夜鷹の小屋が立って、
各藩邸の下部などが遊びに出かけて、
随分宵のうちは賑ったが、これが仕舞うと非常に寂しくなった。
その時分になると、ここで辻斬がよくあった。
切通し』という名は勿論山を切って道を通したという意であるが、
私は子供心にしょっちゅう人を切るから、『切通し』だということと思っていた。


鳴雪の辻斬りの話しは、幕末ならではの話しであるが、
義陳は狭い坂道にびっしりはり付いた飲食店のどこかで一献を傾けたことだろう。