絵の楽しみ方

子どもの時分、絵草紙や錦画が好きだった内藤鳴雪
絵には見る以外の楽しみ方があったことも書き記している。


私は絵を見て楽しむ外に、
またその画を模写することが好きだった。
小学校で図画を教える今時と違って、
当時は大人でも大抵はどんな簡単な物の形を描き得なかった。
それに子供の私がいろいろな物を描くので人が珍らしがり、
自分も自慢半分に盛んに描いたのは武者絵が多かった。


絵草紙や錦画に親しんだ鳴雪にはその絵を模写する楽しみもあった。
そういわれてみると、
宇和島藩士三浦家の中にも同じ楽しみをもった人物がいた。
8代当主義礼の後妻として三浦家に迎えられた仲である。
義礼の最初の妻わさは嘉永2年に病没している。
仲は宇和島藩士佐藤孫助姉で、嘉永2年5月22日に縁約願が出され、
翌年の3月19日に三浦家に引っ越し、婚姻届が提出されている。
その仲の模写を下にいくつか紹介する。


玉川の漁師、上野の桜、梅屋敷、両国橋の花火、吉原の夜桜…
江戸名所を模写したものが多いが、
元になったものは江戸土産の錦絵かなんらかの挿絵と思われる。
素人ながらも一生懸命に写していることが伝わってくる絵である。
義信の妻久美が望んだ草双紙の世界が、
一つ後の仲子の世代にはしっかりと定着していることがうかがえる。