それでは、年も押し迫ってきたということで、
宇和島藩士三浦家文書の中から、
年末から正月にかけての三浦家の様子がよく分かる手紙を1通紹介します。
手紙は嘉永5年の年が明けた早々の正月五日に出されたもの。
手紙の書き手は、三浦家8代当主である肇(義礼)で、この時は宇和島にいます。
受け取ったのは、後に9代当主になる静馬(義質)で、江戸に滞在中。
この二人はいずれも7代当主義信の子どもで、年が離れているが兄弟です。
では、以下手紙を口語訳してみます。


(前略)
そちらは元気に越年したことと思います。
市郎左衛門(義信二男・上原家へ養子)、覚右衛門(義信四男、杉山家へ養子)、
蔵人も同様に元気に越年したことと思います。
こちらも父上(義信)は元気、
また私をはじめお仲(肇妻)、おとせ(静馬妻)、元之助(肇長男)、
おより(肇長女)母子も揃って、元気に越年したので、どうぞ安心して下さい。
昨年末に手紙に粗々書いたように節季仕舞いも大抵済み、
お仲もおとせも大分慣れてきて、遣わし物(歳暮)も26日までには終えました。
近頃は町払(商人への支払い)もその時々払いに変わり、
年末に掛け取りに来ることも少なく、この苦しみから逃れることができました。


宇和島藩士の家では、商人からの買い物は、通帳に記しておいて年末に一括して支払っていた模様。
貧乏な藩士の家ではこの年末の支払いが大変だったようで、商人から取り立てに会うということもあったのでしょう。
身分社会ではトップにいながらも、商人から借金を取り立てられる。
これで武士の威厳は保てたのでしょうか。
また、手紙からは商人への支払いが、幕末にその時々に払う現在に近い形に変わったことが分かります。
年末の支払いを気にする武士からは、
藤沢周平の小説に出てくるような下級武士のつつましい暮らしが感じられます。
手紙は宇和島の年末の城下の空気をリアルに伝えています。