先日地元の図書館から2冊の本を借り出した。
そのうちの1冊が、
熊倉功夫編 遊芸文化と伝統だった。

遊芸文化と伝統

遊芸文化と伝統

たくさんの人によって書かれている本だが、
お目当てはそのうちの一つの論文。
氏家幹人嘉永四年、妻からの手紙−『川路高子日記』をよむ−」。


私は宇和島藩士の三浦家文書をずっと研究しているが、
なかでも、参勤交代で江戸に行った当主と
宇和島に残された家族とが交わした手紙に興味をもっている。
氏家氏が論文で取り上げた『川路高子日記』は、
奈良奉行であった川路聖謨としあきら)が江戸に召還されて、
不在の時に妻が書いた日記である。
そこには参勤交代で当主が留守の時に、
家族が書いた三浦家文書の手紙に何か重なるものを感じる。
川路家では聖謨が不在時、
聖謨の日記と高子の日記があたかも交換日記となり、
手紙以上の手紙としての役割を果たしていたそうである。
そして、その日記は読み聞かせ、家族みんなで楽しむ日記。
そういわれてみると、
三浦家の手紙にも詳しくは別添の日記を見よなどとあるのも、
川路家の日記と性格が非常に似ている。


なお、氏家氏には
川路聖謨とその家族を取り上げた本として
江戸奇人伝 旗本・川路家の人びと がある。

江戸奇人伝―旗本・川路家の人びと (平凡社新書)

江戸奇人伝―旗本・川路家の人びと (平凡社新書)

そのなかで氏家氏は、
優秀な旗本川路の公人としての業績には触れず、
ひたすら日記に満載された家族の身辺雑事的人間模様に固執した
と記している。
固執しただけに、江戸時代の一つの家族の姿が、
まるでホームドラマを見るようにあざやかによみがえっている。
無名な人間の日常を、
一人一人の登場人物がくっきりと像を結ぶように描き出すこと。
そんな緻密な記述は三浦家でも可能であろうか。